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戦後社会の終わり2、頭でっかちの社会が崩壊していく。

なんでもそうだけど、物事も歴史も1周しなければ終わらない。

始まりがあって、その後すったもんだして、さらにゴタゴタと揉めて、

やがて、

その物事の栄枯盛衰の本質であったところに収まっていく。

戦後、世界をぐるりと見渡してみると、

今の日本の状態は、まさに、日本と言う国の問題をそのまま表してるように私は思います。

そして、それがいよいよ1周して、最後の時を迎えようとしているのかなあ〜とも、思います。

ちょっと難しいことなんだけど、わかりやすく書いてみます。

私はいまから20数年位前かなぁ、

その頃から私は、日本社会は脳化社会になって行くのではないかと心配していました。

つまり、社会がどんどん

頭でかちなっていくって言う感じです。

その典型的な例がオウム真理教事件です。

頭でっかちの青年たちが、現実の足場を持たないために、

優秀な科学知識やインテリジェンスを持ちながら、

いかにも、土着的な、土俗的な麻原彰晃に取り込まれていくと言う構図です。

彼らは罪を犯したけれども、

世の中には同じように頭でっかちで、

自分の足場を持ってない若者たちが、

溢れているのではないか、と、

思いました。

それは受験戦争と学歴社会の、

裏返しの影のように、

そのような若者たちを作り出していく社会としての日本です。

それは一方では、犯罪を犯す者になり、

一方では、逆にそれらが上昇して、

経営者や役人や政治家になっていく、と言う構図です。

そうして、もう一方には、

ニートやフリーターや引きこもりと言う若者現象を引き起こしていった、と思います。

その結果、ほんとに社会は閉塞的な息苦しさを解決しないまま、

そこに希望が見えない社会が、

そのままITテクノロジー社会へと突っ込んでいったという感じですかね〜。

IT社会は一旦は、

閉塞感を解放したような感はありましたが、

やはりあくまでもITデジタルは方法であり、

頭でっかち世界がデジタル化されていく一方で、

ネット社会になっても閉塞のを解決する風穴とはなりませんでした。

この頭でっかち現象がいよいよその結果として、今の格差社会を作り出したのだと私は思います。

そこには、1つの如実な現象として、

人間とは、何かが、今問われている。

このままIT、AI社会へと進んでいくのか、

それともどこかで頭でっかちではない、

体を動かし、考える、人間としての本質を取り戻すのか。

それとも失っていくのか、

その大きな岐路が今ではないのかと思います。

頭でっかち世界=西洋リベラリズム。

それが見事に崩壊しました。

頭でっかちに引いた設計図の線が、

見事にへたれてしまいましたね。

もっと平たく言うと、

楽をして、儲けるために金融に走った、頭でっかちのアメリカと西洋諸国と日本も、

見事に墜落しかけている。

それでも、私流には、

まだまだ日本は助かる道があるよ、

と言いたいんです。

もうあと少ししか時間がない私は、

それでも何とかそれを探しあてて、

死にたいです。

ただ、未だに低次元のところで、 

右往左往して、

この危機に気づいてない日本の多くの人々が、気になります。

これからどんどんドルの価値が下落して行った時、日本はどうなるのか。

アメリカの道連れになるのか、

それともアメリカから解放されるのか?

少なくとも、一時的には大変なインフレーションが起きるのではないかと思います。

ただのおばあちゃんでしかない私の杞憂なのか、取り越し苦労なのか。

とにもかくにも、これからは、

頭でっかちではなく、

じっと地に足がついた時代を作らねばならないことだけは、

確かだと思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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