森敦著「月山」ドキュメンタリー映画小川紳助「日本国古屋敷村」能勢広「どこかに美しい村はないか」
みんな日本列島の山々とその麓を描いた作品です。
若い頃に読んでいるので再読です。
読み終えて頭に浮かんできたのは、
小川紳助監督の映画「日本国古屋敷村」と「1000年刻みの日時計」です。
なぜ小川紳助監督が、これらのドキュメンタリー映画を撮ったか、と言う意味と、
なぜ森敦が、
日本人の土俗、あるいは土着性の中にある大切なものを描いたか、と言う事が、
わかったのです。
不連続に私の頭の中で、連続してきたのです。
そして共通のするのは、
日本と言う国が、消えていく事にたいする危機であり、今それを撮っておかねばと言う、
思いです。
私が「どこかに美しい村はないか」と言う映画に対して持った危機感と同じではないか、と言う事です。
「月山」「日本国古屋敷村」「どこかに美しい村はないか」
を、並べて見てみると、
底通するテーマが見えてきます。
それは、残念ながら、それは凡庸の頭では読み取れない深さでもあると、今更ながら思います。
日本の国の地下の深い深い「暗渠」の中に流れる民族の浄水
心の繋がりであり、
日本列島の動脈みたいなものでも、
あったものです。
あった,と書いたのは、
今それが消えようとしている、或いは断たれようとしているから
です。
こう言う流れの中に、
私の頭中で、これから作ろうとしている映画が、
位置付けられている。
◯
こうして、『月山』』『日本国古屋敷村』『どこかに美しい村はないか』を並べてみると、
自分で言うのはなんですが、
「どこかに美しい村はないか」は、
まさに名作である、と思うのを,
お許しください…苦笑。
「月山」「日本国古屋敷村」「1000年刻みの日時計」の、
美しい詩情版です。
これらの作品は「稲の文化」の源水流にある日本人の風景であり、
日本列島で暮らす人々の、
逞しい筋肉と赤黒い血でもあるが、
一方では、列島の山々から流れ落ちる清流でもある。
なぜこれらの作品が私の頭の中で繋がったかは、
そこが脳の凄いところなのです。
続く。

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