改めて脳は凄い!と思ったのは、
『月山』を読み終えてこの感動は、と思い始めたらすぐ『日本国古屋敷村』が頭に浮かんできたことだ。
『日本国古屋敷村』『1000年刻みの日時計』が、『月山』に重なってきた。
『月山』にでてくる寺守りのじっさまや婆っさまや行商人、その不気味なミイラの話が、
『日本国古屋敷村』や『1000年刻みの日時計』に出てきた、
炭焼きのじっさまや婆っさまや、
行商人でラッパを吹く元一等兵の男性や、
一揆を起こした村人の末裔や心霊現象を話す村女などを思い起こさせた。
若い頃の私と違って今の私は,
人間が生きることの根源とは何かを突き止めてきたからね、
その大きなスケールでみると、
それは古い不気味な迷信や因習に囚われて生きる人々も
取り残された過疎の村の封印されたイメージも、
縄文か弥生から、とにかく日本人という民族のいわば過去の原風景の一つである事がわかる。
人間とはそう言う迷路を生きながら、厳しい自然と戦い、地に根を張って生てきた。
その土俗性と執念に感動した。
近代人が失ってしまった、凄い命のしぶとい土着性に
感動したのである。
それに比べて現代の私達は、何と弱々しいものか。
蝿の羽みたいなものはあるけど、
それでフラフラ飛んでいるけど、
まるで足がない。
足が地についていない。
自由ではあるが、土を掴む足指の力すらなく、
どんどん社会の流れに流されて、
自分の正体さえ掴めてないじゃないか。
何一つ確かなものを,掴めてないじゃないか。
彼らの土着には、もっと濃い日本人の血の色や、図太くしたたかな疑心や、
そこで生き死ぬしかない開き直りの覚悟や逞しさがあった。
◯
なぜ私の脳は『月山』から『日本国古屋敷村』『1000年刻みの日時計』へと飛んだのだろう。
と思うと同時に『どこかに美しい村はないか』が浮かんできた。
あーそうだ、わかった。
私の中は、一貫していたんだ、と、
わかった。
私の中,私の脳の中には、
人間とは何か、
何が大切で、
何が美しいか、
が、ちゃんとイメージや文脈であり、
それに気づかないまま私は、
日常の中で流されていたが、しかし、
一貫して私を貫いている文脈があるり、
だから
私が何十年も若き日に読んだ本、
そして何十年前に見た映画、
更に私が、
いよいよ人間が滅びるリアリティを感じ始めた10年前の危機感が、
今、一本の線として、繋がってきた。
私が何に危機感をかんじているかも、
見えてきた。そして、
時空を超えて、脳がそれらを
コネクトした。

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