岡潔先生の本を読んでいたら、好きな文学者は、芥川、漱石、そして芭蕉だと書いてあり、
私もそうなので、嬉しくなった。
だが、芭蕉に関してはいまいちの感じがある。
芭蕉の中にある何とも言えない色気が、すなわちその世俗性が、
邪魔だなぁとも思うことがま々ある。
私はどちらかと言うと種田山頭火のような自由俳句に惹かれる。
誰も知らない、ひとりだけの山頭火の世界がある。
それは漱石や龍之介も彼らの片隅に持っていたような気がする。
感覚の研ぎすまされた龍之介と、
知の合理性の中の漱石も、
そういう彼らの弱さとでも言うべき、もろさの一灯があったように思う。
まぁ私は、男おとこした男があまり好きではない。
山頭火も、良寛も、どこか女性性があった。
そういえば、岡潔先生もそうであり、岡先生はそれを「情緒」と言う言葉で表した気がする。
先生のいう「情緒」とは「知」であり、
その先に「感覚と感情を超えた何か大切なもの」を、
いつも知らせてくれている気がする。

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