人間を書きたかった。
初めはその人間の深層心理から、
そして、次には脳の世界を含めて、人間とは何かを、書こうと思った。
高村智恵子、宮澤賢治、そして樋口一葉を
一般とはかけ離れた、特別な存在ではなく、また、大衆から
幻想化された人格ではなく、
宮澤賢治のように、
神格化された人間でもなく、
ひとりの自分を生き抜いたリアルな存在として、
書こうと思いました。
彼らがどのように生き、もがき、
その苦悩を乗り越えたかを知ることが、
真の意味で、彼らに対する尊敬になると私は考えます。
そこにこそ、人間の真実がある。
いちばん気の毒なのは、宮澤賢治。
余りにも偶像化されすぎている。
彼こそ、保坂嘉内という親友に、
やってはならない事をしてしまった自分に絶望し、もがき、あがき続けた。
彼こそ、誰からも理解されない孤高の中で苦しみ、
それは最後まで続いた。
しかし私は、そういう不完全な賢治こそに、
頭を垂れ、愛着する。
高村智恵子も、実家が破産し、弟が屑拾いまで落ちぶれたその現実は、
どんなに重かったかと思う。
光太郎が求める綺麗ごとの仮面の自分との狭間で、逃げ場のない中、精神の捩れおこしたと、私は考える。
もし、彼女が、もっと平凡に素直な自分を生きたら、どうであったろうかと、紙絵の純真さを思うと、胸が傷む。
一葉も、決して一般に流布されているような親孝行娘なんかではない。
そんな単純な人間ではないのだ。
彼女こそ、したたかに仮面の下に自分を隠し続け、
時に世間へと挑戦的であり、だからこそ、
底辺を生きる自分を逆手にとり、それが、
彼女独特のリアルな人間像を文学的美の世界へと昇華していった。
人間を描くなら、何もかも剥ぎ取って、その裸形を晒す時、まさに、その人間の苦悩や懊悩が宝石のようにキラキラとあらわれてくる。
それこそが、尊いのではないかと
私は考える。
そこにこそ、彼等が全身で生き抜いたら証があると、私は考え、書いた。
それは書き手も厳しいが、読む方も、厳しさをつきつけられる。
安易なロマンなんか、吹き飛ぶからね。
今はもう、
本来あった人間を描くという、
文学本来の使命をもった作家も、読者も、あまりいない気がする。
しかし、それでも一方でタブーが破られ、だんだん真実が明かされる事も起きてきている。
NHK大河で三谷幸喜氏が、まさに頼朝の実像を描いてしまったように。
もしかしたら、これからの時代、
何年もかかるかもしれないけど、
人間の価値は、その裸形の自分を必死に生きることだと、人々が、分かる日が来るかも知れないね。
そうなれば、人間はみな、同じ苦しみの中にいることが分かるだろう。
誰もが不条理な自分を抱えて、
必死で生きている事が
分かると、思います。
そうなるといいね。
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●「原色の女」-もう一つの智恵子抄
●「拝啓宮澤賢治様」
●「空飛ぶ宮沢賢治」
●「樋口一葉の恋」

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