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◆ 人間を書くその1

人間を書きたかった。

初めはその人間の深層心理から、  

人間を描いた。

そして、次には脳の世界を含めて、人間とは何かを、書こうと思った。

高村智恵子、宮澤賢治、そして樋口一葉を

一般とはかけ離れた、特別な存在ではなく、また、大衆から

幻想化された人格ではなく、

宮澤賢治のように、

神格化された人間でもなく、

ひとりの自分を生き抜いたリアルな存在として、

書こうと思いました。

彼らがどのように生き、もがき、

その苦悩を乗り越えたかを知ることが、

真の意味で、彼らに対する尊敬になると私は考えます。

そこにこそ、人間の真実がある。

いちばん気の毒なのは、宮澤賢治。

余りにも偶像化されすぎている。

彼こそ、保坂嘉内という親友に、

やってはならない事をしてしまった自分に絶望し、もがき、あがき続けた。

彼こそ、誰からも理解されない孤高の中で苦しみ、

それは最後まで続いた。

しかし私は、そういう不完全な賢治こそに、

頭を垂れ、愛着する。

高村智恵子も、実家が破産し、弟が屑拾いまで落ちぶれたその現実は、

どんなに重かったかと思う。

光太郎が求める綺麗ごとの仮面の自分との狭間で、逃げ場のない中、精神の捩れおこしたと、私は考える。

もし、彼女が、もっと平凡に素直な自分を生きたら、どうであったろうかと、紙絵の純真さを思うと、胸が傷む。

一葉も、決して一般に流布されているような親孝行娘なんかではない。

そんな単純な人間ではないのだ。

彼女こそ、したたかに仮面の下に自分を隠し続け、

時に世間へと挑戦的であり、だからこそ、

底辺を生きる自分を逆手にとり、それが、

彼女独特のリアルな人間像を文学的美の世界へと昇華していった。

人間を描くなら、何もかも剥ぎ取って、その裸形を晒す時、まさに、その人間の苦悩や懊悩が宝石のようにキラキラとあらわれてくる。

それこそが、尊いのではないかと

私は考える。

そこにこそ、彼等が全身で生き抜いたら証があると、私は考え、書いた。

それは書き手も厳しいが、読む方も、厳しさをつきつけられる。

安易なロマンなんか、吹き飛ぶからね。

今はもう、

本来あった人間を描くという、

文学本来の使命をもった作家も、読者も、あまりいない気がする。

しかし、それでも一方でタブーが破られ、だんだん真実が明かされる事も起きてきている。

NHK大河で三谷幸喜氏が、まさに頼朝の実像を描いてしまったように。

もしかしたら、これからの時代、

何年もかかるかもしれないけど、

人間の価値は、その裸形の自分を必死に生きることだと、人々が、分かる日が来るかも知れないね。

そうなれば、人間はみな、同じ苦しみの中にいることが分かるだろう。

誰もが不条理な自分を抱えて、

必死で生きている事が

分かると、思います。

そうなるといいね。

       ○

●「原色の女」-もう一つの智恵子抄

●「拝啓宮澤賢治様」

●「空飛ぶ宮沢賢治」

●「樋口一葉の恋」

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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