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◆誰にも譲れない(妥協できない)私の感覚世界!

久しぶりに松岡正剛著の「外は良寛」を読み直している。

もう最初の10ページめから良寛の書の間合いの話しが出てくる。

間というのは、私達の身体の感覚の下意識のなかで,

その人なりに組織されており、かなり微妙な話しである。

そこで思いだしたのは、ある青年が、大枚ははたいてある音楽会に誘ってくれたのだが、

私には、余りに通俗すぎて耐えられず、途中退席したことだ。

4歳になる前から、母親からピアノの手ほどきを受けた私の耳は、

かなり微細に音や間を聞き分けてしまう。

だから、よほどの演奏でないと身体が反応し、胸がザワザワして落ち着かない。

それはNHKのドキュメンタリーの為に作曲された音楽であったが、

耐えられなかった。

文章でも同じで、

ある人から、半ば強引に、読んで欲しいと押し付けられた本の内容も文も、

余りにも私とは齟齬を起こし、本当に困ったが、

感想を言うのを、何とかやりすごしてよけた…苦笑!

微細に研ぎ澄まされた世界に、私は美しさを感じる。

ただ,およそ一般的ではないその感覚と感性は、私の財産でもある。

「外は良寛」12ページめ、松岡正剛氏は、

良寛の色彩はモノトーンであり、音に譬えるなら「最微弱音」だと書いておられる。

そして良寛の書の間の瞬間の距離は、

「光と物質(紙)がぎりぎりの関係を保っていられるような、そんな距離」だとも、書いている。

確かにモノトーンの良寛の色彩は、

一切の構えを廃し、

まるで筆に運ばれたように自我が

消えている。

そして伸びやかな一筋の線になった書には、

私自身も一緒に遊覧してゆく喜びが

ある。

多分それは、私が女だからかも、しれない。

まことに、音も書も文も、更には絵画彫刻も、

その微かな間合いから聞こえてくる、そこに、

恥ずかしながら,私の小さな生が息吹く。

それは美しく、

他を介在させない私だけの官能の世界であります。

遠く,遠くから、微かに聞こえてくる葬列の太鼓のように、

私の生と死が、

パラレルに魂化していくその世界だけが、

唯一私の財産です。

だからこそ、私にとっては、かけがえがなく、

どうしても,譲れないのです。

田下啓子

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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