江藤淳著「夏目漱石」を読み終えて考えたのは、
私達はもっと私達の遺伝子の中にあるものを、大切にし、信頼しなければならないと言う事である。
なぜ漱石は、
西洋から来た小説なるものを書きながら、坪内逍遥らの振る旗、つまり
物語を書くという旗には身向きもせず、
ストーリーの背後にある、
人間の業の本質へと迫ろうしたのかは、
すでに漢学で養われた彼の教養や,
江戸文化にある人間のひとつの型や規律や、礼儀作法が、
ちゃんと彼の中で確立されていたからだ。
「吾輩は猫である」で描かれている世界も、日本の一つの定型であり、先生も猫も、
いかにも日本的人物?である。
坊ちゃんの正義感もまた、日本的直情と痛快さを持っている。
漱石の中でこれらの事が,既に確立されていたからこそ、
漱石は英国留学で、
維新以来の西洋崇拝の間違いに気づく。
気づくと言うより、
安易に西洋文明に追いつこうとする日本政府と日本人にとって、
西洋2000年紀元前をいれると3000年のうちに蓄積されたものに、
おいそれと日本人が近づけるものではない事に、
気づくのである。
また実際にロンドン塔に行き、
西洋の歴史がもつおどろおどろしい残忍性に気づき、
近代性や先進性についても、
万事が良いもではなく、
むしろその近代性が失った負の部分に、漱石の視線が向いてゆく。
反対に西洋とは別のアイデンティティを持つ日本と日本人の中に、
西洋にはない潔さや、正直さや、勤勉さ規律や秩序や、礼儀があることにも、
気づいてゆく。
例えば「門」で描かれている、町の片隅でひっそり暮らす夫婦の在り方や、
「心」で描かれる先生と奥さんの
静謐な暮らしなどは、
西洋ではあり得ないのである。
西洋人はしっつこく,ギラギラしていると漱石は感じたらしい。
私自身も最近になって、
慎み深い中に、また
奥ゆかしい中にこそ、
日本人の大切で美しいものがあると、
痛切に感じている。
日本の美は、沈黙の世界でもある。
それがどんどん希薄になってゆく世の中や、
何でも露骨になる風潮にも、
私は違和感を感じる。
他者の行為に、
何の躊躇もなくくちばしを突っ込むネットの民の、
いよいよ軽佻浮薄な様を思うにつけ、日本文化は後退するのか、と危惧する。
しかし、それにしても、
明治以来日本人がこぞって西洋化へと突き進む事に、
違和感や危機感を感じとった漱石の感性と明晰さに
感動する。
今私は切実に、日本が失われないことを祈る。
日本という国の文化が,いかに独創的であり、
それは、長い日本の歴史の中で醸しだされてきたものであることに
今一度人々が心及ばせてほしいと、
願っている。
断っておくが、
日本の伝統的アイデンティティを失なわず,だからこそ
新しい西洋文化が入ってきても、びくともせず、
逆にそれ検証し統合した漱石は、
今読んでも新しい作家なのです。

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