江藤淳著「夏目漱石」全645ページを読み終える。
漱石の重層なる世界を隅々に渡り掘り下げたその緻密なる評論に、
私は感動した。
深海の水が染み渡るような評論でありました。
漱石の文学には深い暗渠が底に流れている。
この暗渠を理解できない限り、漱石の本質には辿りつけない。
そこに辿りつくには、
自己の内面から反射する鑑識眼を持っていなければ、なかなか難しい。
なぜ「吾輩は猫である」や、「坊ちゃん」がユーモラスで痛快なのか、
そして「三四郎」はなぜ迷える子羊なのか、
どうして大介は門を叩いたのか。
「心」の先生は、
何を終了させようとしたのか。
「行人」一郎はなぜ狂気スレスレまでで追い込まれたのか。
そこには、漱石個人の暗闇と孤立と、そして維新までの日本人の江戸文化のアイデンティティがある。
反対に2年間英国留学した漱石が、発狂といわれながらも目にしたのは、
工業化して病んだ英国の姿と、
資本主義の西洋社会の闇と偏執であった。
それがいかに日本人とは異質であるかに、
漱石だけが覚醒して帰ってきた。
明治の文壇の大概の文化人が無批判に西洋へと流れていく中、
漱石だけが、その安易さと迂闊さに同化しなかった。
坪内逍遥も、二葉亭四迷も、外国に行ったことも無いのに…苦笑!、
ウカウカと西洋讃美と同化の中に、
取り込まれて行っちゃったんだね〜…トホホ!
その安易さと西洋を甘く見た日本の
迂闊さは、後の
太平洋戦争の,敗戦国と被爆と言う結果になった。
そして
今だにまだ日本人は、
それを総括し終えていない。
一方逆に、日本へと回帰した漱石のそれを単純に、東洋というカテゴリーで包みこむのではなく、
むしろ私は普遍的な人間現象の中で捉えようとした。
確かに脳の中のソフト,すなわち動機となる記憶の層は個々人に異なるが、しかし、
それが帰結していく、ある種の普遍性を、漱石は書こうしたのではないかと私は考える。
それは脳がもつアルゴリズムであり、人間の脳が背負う宿命でもある。
かなり高度の読解力を必要とするが
この本を、お勧めします。
特に、日本人は、
西洋人とは全く事なる愛の世界、
すなわち沈黙する愛の世界を持っているのだという事の、
大いなる価値に気づいていただけたら、
嬉しいです。


コメント