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エッセイその30、ホントはね,すべてが自由なんだ。 

碧梧桐のことを書いたらなんだかシュールな感覚について書きたくなったので、書きます(笑)!

      〇〇

人は見たこと感じたことを意識の範囲内で処理しているが、

優れたアーティストや詩人、文学者は、その意識の限界というか、カテゴリーを超えて、見ようとし、感じようとし、

そこから意識と感性の飛翔がはじまる。

それが面白いんだねー。

例えばピアノを弾いていたとするが、

或る時なぜか和声から外れた音を指が掴んでしまう。

しかしその不協和音が妙にピンときたり、心地良かったり。

もしかしたら案外ドビッシーなんかそうだつたりして…笑

それが言葉となるいい間違いや、例え間違いがおきるから、

そこからどんどんはみだせる。

そこを入り口にして、詩も俳句も散文も、言葉が広がり、飛躍がおきる。

子供なんかそういうのは得意でしよ。

私はしかめっつらをして型に嵌められるのが大嫌いだから、

はみ出したり、落ちこぼれたりして、自由に風に舞う事が

面白くてたまらなかった。

だから学生の頃にはパッチワーク人間とか(笑)

同人誌では、上昇気流に乗っていつの間にかどっかに飛んでっちゃう上昇気流女とか、言われたりした…笑!

あーでもそういう風に例えてくれたO君は優れたコピーライターになったけど,もう天国に行っちゃったなぁ。

型にハマっていなかったから、若い頃の私は当然のようにこの世が嫌で嫌で。

だからいつも世の中に反応しない無機物の自分になりたいと思っていたら、 

多分アポリネールの小説だったと思うけどもうよく思い出せないが

壁になってしまう男の話を読んで、

あー私と同じような願望を持つ人間もいるんだと嬉しかった。

生意気にもアポリネールとか、ランボーとか読んでいっちょまえに退廃に浸っていたんだねー(苦笑)

まあ昔から私は訳の分からない子だったということでしょうね〜笑!

でもね

感覚や感性を解き放つことは、

それはマンネリな日常性から解放される、

とても素敵なことだと思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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