人間は何の為に生きているのだろうか。
人は生きる意味や価値があるのだろうか。
憲雄氏の脳手術以来、私は考え続けている。
国家が破綻してゆく、
こんなことを望んで私は生きたのではない。
私の中の信義、私の中の正義、私の中の倫理、道義、
そして私の中の何よりも大切な、
私の中の文化と知の世界が、
私の周囲で、ガラガラと崩れていく。
たがしかし、それは、よくよく考えてみると、
私の外で起きていることであり、
私の中で、それらは律然と,そして決然としてあり、
私は、崩壊していない。
社会を,時代をマクロ的に見渡した時、
私は過剰なテクノロジー社会、AI社会の先に、
人間の脳の劣化と人間の牧歌的世界の喪失をみた。
脳は甘くない。
脳は強烈な遺伝子が支配する世界であるとともに、
その人間の経験知と体験知が,その遺伝子的世界と格闘し,確執しながらしか、
脳は、進化,成熟しない。
A I社会は、その経験知,体験知を人間から奪いかねない。
人間が,その人間力を失わず、
自然との協働のなかで生きることが、
人間が人間たる最後の砦であると考えた私は、
それを「どこかに美しい村はないかと」という映画に撮った。
それは、詩人茨木のり子さんの人間愛の世界でもあるよ。
その牧歌性が、人間にとって最も良き,美しい時代なのだ。
これ以上人間社会が、世界が破綻に向かって突き進まないことを
祈る。
そして私自身は、何をすればいいのかを
さらに考え続ける。

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