もうすぐクリスマスだねー。今年もイエスの言葉を贈ります。
思えば大学時代に聖書を読み感動し、以来ずっと聖書の言葉に支えられてきた。
亡くなられた井上洋治神父は、
イエスは旧約聖書世界を覆した革命児であるとされ、
師は新訳聖書を読むことを勧められていた。
新訳聖書を貫通しているのは、
小さきもの,貧しきものに対する愛の世界です。
私もこの歳になると、小さきもの,貧しきもの,という存在が、
いかに大切であるか、わかる。
人間はほんとにね、ちっぽけで
私達の「自分」なんて,たかが知れた貧しい存在なんです。
世の中やものが見えているようで,実は、それも殆どが、自分の思い込みでしかなく、
ほんとはね、自分とは、
薄暗がりの中を手探りしながら歩いている迷子のようなもんなんです。
だから苦しいし、悩むんだねー。
その人間にイエスが言うのです。
君は愛されているよ。
誰に?
神に愛されているんだよ。
だから君も自分を愛し、他者を愛しなさい。
と。
人間はねー、無意識のどこかで、自分が愛されていることを知っている、と私は思います。
だって人間の中には、生きるエネルギーが、無意識にプログラムされているんだもの。
だから私はいくら自分が絶望しても、次の瞬間には、
無意識に自動的に生きているし、生きようとする。
その生きる,と言う極めて素朴で単純なプログラムを、
疎外したり、否定するのが、
人間の欲張りな意識です。
より愛されたいとか、
愛されることを独占しようとする人間の、欲の意識なんだねー。
毎年この時期になると、イエスの言葉を書きます。
故井上洋治神父は、神はプネウマ(風)だとおっしゃった。
でも私は
神はやっぱり光だと思う。
ちっぽけで貧しい人間の世界を超越して、
空からすべてを包み込む光、だと、
思います。
今年の言葉はイエスの有名な「山頂の垂訓」よりです。
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「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
以上,マタイの福音書より。
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優しいね…。

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