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脳科学の観点から今を分析する。3 全てを包摂する私達の東洋思想世界。

本を開いてみて驚いた。

鈴木大拙の本である。

そこにのっけから書いてあったのは、

明らかに違う東洋と西洋のことであり、

西洋はニ項対立の世界を生き、

東洋はひとつのアナログ的全体性を生きていると言うことである。

そこには、私が考え書いてきたこととまるで一致することが、書いてあった。

いわゆるデジタルが時代の中に入ったきた時から、

私は強烈な違和感を感じていた。

なぜなら、私は自分の中は紛れもなく、アナログであり、

存在とはアナログそのものだと思っていたからである。

デジタルはどうしても、自分が分解されるような違和感と危惧というか、

むしろ恐怖に近いものを感じた。

人間はそういう風に切り刻まれるものではない、と言う拒否感が私にはあった。

だから「どこかに美しい村はないか」と言う映画を、

能勢監督と一緒につくりました。

いよいよデジタルが進み、さらにAIまでが出てくる時、

やっぱり違う、と言う確信が、

私の中に再び生まれてきた。

人間や社会を全て0と1で数値化し、解決するなんて、

とんでもないと思いました。

それは私が直感的に感じたことです。

大拙氏は、西洋の対立の概念、すなわち二項対立の論理性の上に、

西洋の科学の発達、工業技術の発達、法律の正確さ、団体組織巧妙さがある、という。

反対に東洋ではそういう風に二分性では割りきれないという。

私もそう思う。

人間というのは、そういう風にすぱっと割り切れるものではない。

数字と数字の間、言葉と言葉の間、さらに行間と行間の間にある、

言葉にはならない、数字にはならない、漠然とし、曖昧である、

空間と時間を、

私たち東洋人は包摂して世界とする。

ここに来て、AI、さらに量子AIの世界が明らかになって来たとき、

そのAIなんかではとてもかなわない。人間の世界があることが、

明らかなるだろう。

すなわち、それこそが

東洋の思想である「父母未生以前の本来の面目」である。

なんだか、私は腹が立っている。

ずっと西洋世界に飲み込まれ、引きずれられてきたことに対して、

腹が立っている。

今のこの世界の分断の有様は、

なんと言うことだろう。

なんてことだ、

彼らに比べて、よほど日本人の方が優れていたのに、と、

と、今更ながら腹を立てている。

私たち日本人が見ていた世界は、

西洋より、もっともっと大きくて広い世界であった。

全てを包摂する。それは母性的胎内の世界であった。

今分断が進み、おかしくなっているそれは、

西洋の父性的ロジックの世界に端をしている。

私たちは、日本人がどんなに素敵であるかを再認識しないといけないね。

日本の伝統と、文化の中には、

自分も他者も包み込む、おおらかで、大きな思想体系があることを、

もう一度熟知してほしいと、私は願います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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