本を開いてみて驚いた。
鈴木大拙の本である。
明らかに違う東洋と西洋のことであり、
西洋はニ項対立の世界を生き、
東洋はひとつのアナログ的全体性を生きていると言うことである。
そこには、私が考え書いてきたこととまるで一致することが、書いてあった。
いわゆるデジタルが時代の中に入ったきた時から、
私は強烈な違和感を感じていた。
なぜなら、私は自分の中は紛れもなく、アナログであり、
存在とはアナログそのものだと思っていたからである。
デジタルはどうしても、自分が分解されるような違和感と危惧というか、
むしろ恐怖に近いものを感じた。
人間はそういう風に切り刻まれるものではない、と言う拒否感が私にはあった。
だから「どこかに美しい村はないか」と言う映画を、
能勢監督と一緒につくりました。
いよいよデジタルが進み、さらにAIまでが出てくる時、
やっぱり違う、と言う確信が、
私の中に再び生まれてきた。
人間や社会を全て0と1で数値化し、解決するなんて、
とんでもないと思いました。
それは私が直感的に感じたことです。
大拙氏は、西洋の対立の概念、すなわち二項対立の論理性の上に、
西洋の科学の発達、工業技術の発達、法律の正確さ、団体組織巧妙さがある、という。
反対に東洋ではそういう風に二分性では割りきれないという。
私もそう思う。
人間というのは、そういう風にすぱっと割り切れるものではない。
数字と数字の間、言葉と言葉の間、さらに行間と行間の間にある、
言葉にはならない、数字にはならない、漠然とし、曖昧である、
空間と時間を、
私たち東洋人は包摂して世界とする。
ここに来て、AI、さらに量子AIの世界が明らかになって来たとき、
そのAIなんかではとてもかなわない。人間の世界があることが、
明らかなるだろう。
すなわち、それこそが
東洋の思想である「父母未生以前の本来の面目」である。
なんだか、私は腹が立っている。
ずっと西洋世界に飲み込まれ、引きずれられてきたことに対して、
腹が立っている。
今のこの世界の分断の有様は、
なんと言うことだろう。
なんてことだ、
彼らに比べて、よほど日本人の方が優れていたのに、と、
と、今更ながら腹を立てている。
私たち日本人が見ていた世界は、
西洋より、もっともっと大きくて広い世界であった。
全てを包摂する。それは母性的胎内の世界であった。
今分断が進み、おかしくなっているそれは、
西洋の父性的ロジックの世界に端をしている。
私たちは、日本人がどんなに素敵であるかを再認識しないといけないね。
日本の伝統と、文化の中には、
自分も他者も包み込む、おおらかで、大きな思想体系があることを、
もう一度熟知してほしいと、私は願います。

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