まことに個人的なことで申し訳ありませんが、私にとってこんな嬉しいことはありません。
まず、以下の分は天才数学者の岡潔先生が書かれたものです。
文学者で女性が本当に描けていると自信をもって言い切ることができる人は、
日本では漱石、外国ではドストエフスキーぐらいではなかろうか」
(岡潔著・春宵十夜)
実は私もまったく同じ事を、考えていました。
でも、今までの書評や評論では、誰も、そんなことは書いていません。
もう山ほどの本や文学作品を読みましたけど。そういう評論は読んだことがありません。
例えば漱石の「明暗」なども、普通の評論、特に男性の評論家は、
漱石の追求した「人間のエゴ」云々とかいうのが、せいぜいです。
しかし私はこの作品で漱石は、
女性の素晴らしさを書きたかったのではないか、と直観しました。
女性の素晴らしさというより
「女にはかなわないなぁ~」というかんじですかね!
社会的な既成観念に縛られている男よりずっと自由に生きる女たち、
自分に正直に生きる女たちを描こうとしたのではないか、と思います。
漱石の作品には主役の男の対岸に、
彼の女性観の女が描かれていきます。
特に後半の作品「門」のお米。「心」の先生の奥さん、そして明暗のお延と清子。
更にそのほかの小説に出てくる姉や兄嫁など。
私は女ですので、男性諸君とは別の次元で作品に向き会います。
まずは,女性がどんな風に描かれているか。
そこには男性の幼稚な・母性依存はないか。また、
女性を・幻想化,美化していないか、更に、
どれだけ女性の本質を掴んでいるかなどを、
ほぼ本能的直感として作動させながら読みます〜怖!
だから、残念ながら、殆どの小説に対して、私は厳しいです。
そんな私の読解の中で、合格したのはまさに、
漱石とドストエフスキーだけです。
例えば、モーパッサンやトルストイも、不合格です…笑!
女性の中の母性は勿論の事、
その忍耐力、現実の不条理を乗り越えいく逞しさ、
そして最も素晴らしいのは、
男なら意識が理屈の規範や規制に縛られ,がんじがらめになるところを、
女性は、その正直さと,感情的な自由さで、
アッという間に飛躍して超えて行くところです…笑!
そんな理屈なんか、知ったこっちゃないわ!と。
そして岡先生のいう通りドストエフスキーの作品に出てくる女たちも見事に描かれています。
岡先生は「白痴」の中に出てくるアグラーヤが素晴らしいと書いておられますが、
私は「罪と罰」のなかの主役ラスコーリやニコフの妹アブドーチャや
退職官吏のマルメラードフの妻カテリーナ、
そして「カラマーゾフの兄弟」にでてくるカーチャ、グルーシェンカなどは、
もう読みながら心躍りました。
長くなるので。
その事は次回書きます。

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