人間がなんで素敵かというと,
どんな人間も善く生きようとする、ということです。
どんな人間も、失敗や間違いをしてしまうと、あゝしまった!と思うし、
どんな人も眠る前には、明日こそ挽回しよう明日こそは、
今日よりもっと素敵な自分でいようと無意識に思って眠るはずなのです。
つまり、無意識ではいつも、素敵になろうとしているのが人間だと思います。
だとすると、私たちも自分の人生も、この世をも、良いものにしなくてはなりませんね。
よいものとはなにか、ソクラテスはよいものとは「善きもの」であると言いました。
賢治はみんなを「幸せにするもの」を探し続けました。
一葉は、歯を食いしばって「女が成しうることとはなにか」を書こうとしました。
そして正岡子規は、ジャーナリストとは何か、そして生きることは
「何があっても平然と生きること」であると最後まで生き尽くそうとしました。
今、ほんとうに生きづらいです。。
善くいきることや、正直に生きることや、道徳感や倫理感がどんどん薄くなり、
文化が西洋的な剥き出しのものになり、
日本の美である、おくゆかしさが消えそうです。
反対に、ズルをすることや、自分の利益さえ守ればいいということが、
なにやら小理屈をもってそういうのがあたかも、リアリストであるかのように
アナウンスされています。
それでもね、この国の人々は、
たいがいの人々は、正直に生きようとしていると思います。
この国の人々はとても律儀に生きようとしていると思います。
賢治が命をすり減らして、求めつづけ、探しつづけたみんなの幸せとは何かを、
それは大仰なことではなく、小さなこと、
ささやかな人間としての徳を守ることの中にあることを知っています。
どう生きるか、何を失ってはいけないか、
滅びへとならないためには、
どうしたらいいかを大人がその背中を見せ、
そして若者は真剣に考え、
厳しい生存競争の中を生き伸びて欲しいと思います。
明け方、うつらうつらとする中で、そう考えました。

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