感覚が意識のフレームを越えて、
つまり意識の既成観念の秩序を飛び出し、
感覚そのものが、言葉へと変換さないまま、感覚として自立し、
感覚から感覚へと増幅されたり、細分化されたりして直観へと連鎖、連結,移譲され、
どんどん既存のソース源から解放されて、
あちこちに、自分の感覚が浮遊しそれはまるで
空気のようにあちこちに偏在し、
これまでとは全く別の感覚世界を構築するかもしれない。
つまり今まで自分が思い込んでいた感覚が、
その思い込みからはずれて別のなにかなるわけだから
今までの自分にこだわったり、自分にしがみついたり、
自己主張したりするなんてがホントにつまんないことになる。
原子の感覚として、世界の普遍性の空間中でダンシングする、ってわけだね~。
自分の意識をとじることなく解放し、
感覚が他者の感覚の呼応し、往来し、
或いは人間以外のものとも往来、交流し、
最終的には、感覚の粒子があちこちで、連鎖、連結、或いは
解体、結晶、或いは放出されて、世界のあちこちに飛びまわる。
あゝ~っ、これって素粒子の世界だよ!
もしかしたら、未来はそこまで、行くってことかぁ~??
印象派の画家たちも、音楽家たちもまさに、自分達の古い感覚を手放し、
あたらしい感覚と感性を手繰りながら、それをやり遂げていった。
光の粒子を絵に、電子の粒子を音やメロディーしたのだから、
すごいね!!
私達もがんじがらめになっている既成の感覚が、
やがては粒子に解体されて、
天井(宇宙)に行くのかな、あの銀河鉄道に乗ってサ!
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