どうなんだろう。
例えばロジックな世界というのは
もしかしたらAIに制覇されるかもしれないが
感覚の世界、それも微細な感受性による
その抽象的世界こそは、AI不可侵の世界になるのではないか。
まあ、私もよくわからないが。
例えば私が撮りたいと思う映画では、
一切のロジックな説明はしない。
むしろ映像がもたらす連続性および不連続性の進行の中で
感覚と直感を手繰りながら、みている人間が自分のロジックに
接続させていく、って感じかな~。
感覚と感性を駆使して、
自分の中の記憶が喚起し、連鎖していく中で生まれる
その臨場な世界。
それも今までにはなかった新鮮な発見や生き方へと
像及び感覚が結ばれてゆく。
作り手としては、
最も謙虚に、遠慮ガチに
ただメッセージを映像に収斂させていく。
そこに
作り手と観客の、お互いの自由と奔放さで
華麗なる生のダンシングが生まれるといいな~!
ドキュメンタリー映画にありがちな
人間の不条理ばかりに目が行かず、
たとえ不条理であろうとも、
平然と超えていきる。
そういう感覚のダンシングができるといいなあ~!!

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