本当にバカげたことです。
こんなことで人が殺さるなんて、あり得ない。
プーチン氏はもう正気の沙汰ではない。
認知症の凶暴性が彼を支配しているとしか思えない。
以下は今朝の新聞(朝日)でのウクライナ国連大使のことばです。
「私たちは、すべてに、目をつぶってきた。
モルドバの領地が占領され、ジョージアが侵略され 、
シリアが爆撃されても、北朝鮮を支援しても」
だから今ウクライナで起きていることを「私達全員の過ちの集積」
「国際社会の無責任な自己満足の結果」だと。
ほんとうにそうですね。
どこか、私たちは厄介ことを見ないふりをしてきたかもしれません。
私たちはどこでボタンを掛け違えたのか。
資本主義的経済の繁栄と、グローバル金融経済、高度なテクノノロジー文明と、
そして核抑止というまやかしが、今、今如実に歯を剝きだして、
逆に、見せしめに核爆弾を落とすということが現実化している。
何をどうしたらいいのか、私には分からない。
ただ、本当は私たちは、仲良く生きたいのだ。
もっと慎ましい経済のもとで、穏やかに、
ゆずりあって共に、素朴に、生きることができないのだろうか。
そういう世界を、ひたすら私は、捜す。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒(くろビール)
鍬(くわ)を立てかけ 籠(かご)を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
<茨木のり子 詩 六月より>

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