昨日書いたことをもっとわかりやすく書きます。
人間の脳は、生まれおちた瞬間から、
ひとりひとりがまったく違う脳の世界を
築いていきます。
生まれ落ちた瞬間から、外の刺戟に反応しながら、
遺伝的情報と生育の情報が、瞬間瞬間に脳内で編集されながら
その人の記憶の集積がはじまります。
外の世界にどのように反応するかも、その人固有の反応の仕方で
その人固有の感性の脳のデータ世界が構築されていきます。
つまり、押さえておかなければならないことは、
生まれ落ちた生育の環境、親との環境、周囲の人間関係の環境
そして学校や地域の環境などなど、それらは、
その個人のきわめて
●ローカルな情報であるということです。
やがて成人になり社会へと旅立つと、
自分のローカルな情報を使いまわしながら、
脳の記憶を再編集しては前へ進み、
人間は瞬間瞬間を生きていくのですが。
社会とは自分のローカル情報に比べて、
海や空のように広く、大きくそして複雑で、難解に錯綜する世界です。
その、自分にとっては無明に近い様々な他者の世界と、
渡り合って生きねばなりません。
その時、いかに自分がローカルな限界を持ち、
反対に他者たちの世界は、
自分の理解の範疇を越えて無限に複層的にある、と
いう、はっきりとした認識を持たない限り、
自分のローカル情報をそのまま地滑り的に
他者に投影してしまいます。
つまり、自分のローカル世界が、
他者と同一或いは同類であるかのような
錯覚(思いこみ)で生きてしまうのです。
他者と自分とは、宇宙ほども違う異世界であると
認識しない限り、
他者と対立したり、対抗したり、競争したり、
更には攻撃したりということを
人間はしてしまうのです。
そして、さんざん失敗したり、挫折したりしたとき、
始めて、他者と自分がどんなに違うかを
思い知るのです。
もうお分かりですね。
これまでの人間は、
自分のローカル情報で、
勝手に他者と、ひとり相撲をとっているような
歴史を紡いできたのです。
プーチン氏などは、その典型で、
いくら彼がウクライナは兄弟だと言っても
ウクライナの人々は、そう思っていないということです。
同じことは、親子、兄弟、夫婦、友人、など、
すべての人間関係においても同様です。
他者に、自分のローカル世界を押し付けると、
そこには必ず、不和や、格闘がおきてしまいます。
それは、なんて無益で不毛なことだろう、と私は思います。
限られた人生の中、
なんてその人のエネルギーを浪費しているのだろうと
私は考えます。
最後に、人間は、ひとりひとりが、固有の感覚と感性、
そして固有の記憶の集積の中、
その人独特の<文化>を築いていきます。
その<文化>こそが大事なのです。
他者の<異文化>の世界こそ、自分にはない宝石の小箱であり、
それを吸収できると、人は視野が広がり、豊かになります。
そしてそれは
国々においても同じです。
今まで、さんざん地球の資源を食い荒らしてきた人間は、
今こそ、この21世紀こそ、力を合わせて、地球の自然性の保全と修復に
その叡智を結集しなければなりません。
戦争などしている場合ではないのです。
そして瞬間、瞬間をいきる人間は、
常に気づいた瞬間の今、ここから、また、
すべてが
始まるのです。
コメント