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◆今ここからその11、鬱や躁から脱却し、人生を浪費しないで生きる。

世の中とは、大衆の欲望が共同して幻想を持つ

不確かな世界であること。

世の中の現象とは、ほとんどが、人間の欲望や

欠損心理を埋めるための現象として有るように思います。

それは、文化や文明というだけではなく

経済も同じです。

だからこそ、経済優先の社会はどんど歪んでいきました。

私たちは、どこかでこの歪んだ消費経済社会を歯止めしなかれば、と

私は考えますが・・・。

世の中とはどういうものかを示す一例として、

なぜ多くの人が、

他者からの認知、承認を欲しがるか、ということを

書いておきます。

人間は、基本的には自分の事しか関心がなく、

反対に他人のことなど、どうでもいいといいうのが、

その本音です。

目には見えない現実の正体がそういうものであるからこそ、

それが反転して、

●自己肯定できない人達は

他者の自分への注意や関心を引きたいという

欲望を募らせます。

それで自分の自我の空白を埋めようとするのですが、

残念まがら、それはないものねだりです。

人間の不条理とでも言いましょうか、

自分は他人への関心がない癖に、自分のことについては

自分がどう扱われるか、どのような位置にいるか等の

猛烈な自意識を持つのです。

●聡明な人は、自分のドメイン(限界)をなんとなく承知しており、

そのドメイン内での自己を肯定します。

それで満たされると、更にしっかりと他者の個性と向き合い、

自分の周囲の人間を大切にします。

確かなるつながりを持って生きようとします。

なぜなら、周囲の人達こそ、大事な人生の友人であるからです。

一方

●余り聡明ではない人ほど、膨張した自己幻想を持ち、自己肯定が希薄な中、

自分を認めさせたい、という

他者や周囲への要求度を高くします。

ごく普通にもそういう人はたくさんいますが、

それの最たるものが、

いわゆる不特定多数という、

本当は実体がない人間たち(大衆)から

認知されたい、という欲望を持つのですね。

例えばアイドルになりたいとか、タレントとか,ミュージシャンとか、その他もろもろ、

政治家なんかもそうかもしれませんね。

やたらと、世の中に認知されたいという、欲望を持つひとたちです。

そういう人は世の中の表面的な認知を得ようとします。

つまり、世事、世相という大衆現象とは、

大衆の欲望が膨張し、そういう妄想や幻想に

大勢の人(大衆)がマインドコントロールされることですから、

他者に認知されたいという膨張した欲望は、

結果としては、

自分が、不特定多数の人間(大衆)の欲望に

消費されるんだということになるのです。

そういうことにに気づくと、

他者に認知されることや、社会で承認されることより、

まず、

自分が他者を認知し、自分らしく交流したり、

ささやかなる貢献をすることこそ、大切で、

それが実体のある周囲からの信頼を得ることになります。

自分の傍にいる人を大切にし、

ささやかだけど、

温かい人間としての交流と絆を持つことなのです。

目には見えない誰かを妄想し、

その虚像に脅かされ、

仮想が荒れ狂う世の中の幻想に翻弄されて、

鬱になったり

躁になったりなんて、

なんて勿体ないことかと思います。

そういう人たちは

一番大事な<核心>を見ていないのです。

<核心>とは●理性で見えてくる世界です。

それは、冷え冷えとした現実であっても

そこには、ささやかに自分を取り巻いている人々がいる、という事です、

核心を見ず、自己幻想を膨張させ、それが叶わないと、

鬱になったり、躁になることこそは、

不毛な人生だと私は思います。

気の毒ですが、

大事な人生を無駄に浪費してしまうと思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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