人は、最も厳しい選択をした時から、輝きがはじまります。
宮澤賢治も、最後はその厳しい選択をした一人だと思います。
賢治は、自分が考えたトルストイ的農村と農民の生活改革も、
また自分がのめり込んだ国柱会の社会改革も、作家や詩人としての文学的生活の、
何もかもが現実離れした、
自分の空想と思い込みの産物であり、
最後に逃げこもうとした東京での生活も、
自分の勝手な思い込みの場であった事に気づきます。
きっと自分の現実錯誤に愕然としたでしょう。
そしてその夜から発熱し、自分を奮い立たせるように「雨ニモマケズ」の言葉を、
手帳に書き込んだと思われます。
そこからは賢治自身の自己検証が始まって行きます。
やがて賢治は、自分が思い込んだ世界が、まさに幻想であった事に気づいていきます。
賢治の言葉を借りれば「蜃気楼」だったと、書いています。
最後の望みも失ってしまった賢治は、すべてを諦めたと思います。
ここが賢治の非凡さであり、
まさにその知性の高さが賢治を掬い上げます。
○
脳の観点からいうと、
この世は、個々の人間の脳の思い込みの集積で成り立っています。
※いわば思い込みの雑居状態とでもいいますかね〜。
だから、自分の思い込んでいる事や、信じ込んでいることが、
ほんとうに真の現実であるかないかは、実際には分からないのです。
つまり人間は、自分の推測や幻想を現実であるかのように錯覚しながら生きていると、
いうことです。
※ 脳は、仮想と虚構を作り出す天才機能です。
一般的には、自分の思い込み(幻想)と、現実に起きている現象とが、錯綜する中を、
かろうじて手探りし、匙加減しながら、危うい綱渡りのように、
人は生きていきます。
つまりは、夢(幻想)半分、現実半分、と言うように、です。
ところが知性が高くなればなるにつれ、現実が幻想である事が分かってきます。
※ ちょっと難しい言葉で言えば、現実を相対化する能力が高ければ高いほど、
現実が幻想であることが、見えてきます。
それは残念ながら、現実の厳しさや不毛さが、
はっきり見えてくる事でもあります。
つまりそうそうは希望もみつけられない荒野の様な現実が、
はっきり見えてくるという大変厳しい事実を突きつけられる事になるのです。
その上で、すべてを諦めるという事は、どう言う事かと言うと、
もう幻想が一切消えてしまう、という事です。
たいがいの人間は、中途半端に幻想と現実の狭間を生きますが、
幻想が消える、という事は、厳しい現実のみが赤裸々に見えてくるという事です。
ふつなら耐えられないかもしれませんね。
ただね、ここからがはじまりなのです。
しっかりとごまかさず、現実を見極めるここからが、
覚醒の始まりです。そして、
絶望しないで、更に生きる。
もう少し続けて書きます。
人間の脳は、一つ一つが個絶しており、人間は断然を介してしかつながれません。
※ 個絶とは、人間の脳は、それぞれの個人の収集した脳内データで完結している
(つまり、データはすべてその個人によって、著しく異なる)と言う事です。
親子であろうと、夫婦であろうと、お互いは、ほんの一部の接点で、かろうじて繋がっているに過ぎません。
また、他者の脳が何を考えているかなどは、推測以外にわかるはずがないのです。
なのに、人間はお互いが自分とおなじであるかのような錯覚をしたり、
恋愛したり、挙句の果てには離婚したり、喧嘩したり、戦争までおこします。
つまり、人間が分かり合えるという事も幻想であり、よほどの努力が必要です。
更に、目が覚めるという事は、
今まで信じていたこと、思いこんでいたことが幻想である事を、
覚悟の上で生きる、ということです。
社会においては、人間は表面は理想的な事を追い求めますが、
実際は、理想とは程遠い現実が闊歩します。
なぜなら、人間の本心は自己防衛の方にシフトし、
自我は強固に現状維持に固執し、それが間違いだと分かっていても、
なかなか変えることができません。
また訳の分からないネガティヴな妄想や妄信が横行するのも社会です。
今の統一教会問題などは、まさにその典型です。
本当は幻想で実体の無いもの、ない事を、
思い込み、それが社会現象化する。
つまり、
幻想が覚めれば覚めるほど、現実に絶望が走ります。
賢治の場合も、ことごとくそれらが崩壊する中、よく人格崩壊が起きなかったなと、
思います。
しかし、ここからが、その人間の真価が問われるのです。
その無味乾燥の砂漠のような現実を承知の上で、自分はどういきるか。何をするか。
前回書いたように、賢治は彼の作品も、彼の思想や理念や感性をも、
誰ひとりとして自分を理解することがない事を承知の上で、
何をするかを考えたと思います。
一つは作品を仕上げること、
もう一つは、
自分を必要とする人々の為に、生きること。
人々の為に彼は童話に何度も手をいれて完成させました。
また、彼の最後の夜、肥料相談に来た農民の為に、
何時間も正座して、丁寧に話しを聞いては、答えました。
そして死の寸前に、法華経を印刷して配るように遺言しました。
何もかもが、自分の思う通りにはいかない。
いかないどころか、自分の考えや思想や理想を理解できる人は皆無に近い。
その上で、
彼が最後まで推敲を続けた童話「銀河鉄道の夜」では、
ひとりぼっちになったジョバンニは、
汽車を降り、地上(現実)に、帰って来ましたね。
最後は逃げず、
最も厳しい選択をした賢治の辞世の句は、なんと晴ればれしているか。
「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて
み祭三日 そらはれわたる」
「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり
みのりに棄てばうれしからまし」
宮澤賢治、
ほんとに素敵に生きました。

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