経営者にとって最も大切な事は、
社員一人一人に対して全幅の信頼を持つことだと、憲雄氏は言っていた。
できる人も、できない人も、全員で会社を作る、と言うのは、
人道主義でも、理想主義でも、綺麗事でもありませんよ。
脳の事を熟知すればするほど、
極めて現実的な事であり、
そこにこそ生産性がある事を、
知っているからです。
人間は自分の脳の中の能力を自覚できません。
また自分の脳の可能性についても
自覚できません。
つまり、人間は自分の脳の中にどれほど素晴らしい原資があるか、
自覚できないのです。
しかし、それは、自分以外の人間との関係性や、
その人間が遭遇する出来事などによって、
少しづつ引き出され、
外在化(現実化)されます。
いつも憲雄氏が言っていた、セレンディピティもそうですね。
偶然に出会った人によって、今までなかった能力がひきだされます。
また、ある目的を持った考察や行動をした時や、
更には、ある危機に遭遇した時など、
つまり、端的に言うと、関係性や
なんらかの契機によって、
今まで脳の中で内在化していた能力が、表出してくるのです。
そしてそれは時に、
思いもよらない可能性や奇跡が生まれていくのです。
そしてそれは
誰がいつ、そういう奇跡を起こすか、分からないという契機を孕んでいる。
だから、会社で言うと、数字や利益や生産性などで社員を優遇して
限定すればするほど、それはだんだん資源が尽きて、貧しいものになってしまうのです。
逆に、さまざまな多様な人々が関わって作り出すフィールドこそ、
宝の山であり、
経営者が保証すべきなのです。
つまり、インドラ(帝釈天)のネットは、
夢物語でも、ユートピアでも、ないのです。
それは、脳の機能の帰結として、
現象化(現実化)するという事です。
経営者の包容力が大きければおおきいほど、或いは、
人間に対する信頼が深ければ深いほど、
それに比例して、フィールドは、豊穣になり、多様性が保証され
生産性も、或いは、斬新な製品力も、生まれるって事です。
そう言う脳が持つ奇跡な脳の帰結を分かっていない経営者は、
目先の利益率や生産性や数字や効率で、人間を限定していきます。
しかし、それは所詮先細りになるしかありません。
憲雄氏の意図はまさにそこにあったと、そばで見ていた私は思います。
次回は、なぜ彼が「真艫」ということにこだわり、それを打ち出したかについて、
私なりに理解している事を書きます。
本当は、本人に確かめる事ができれば良いのですが、
今となっては、悔しいけど、できません。
ただ、彼も私も、その一点だけは譲れない、という一点があります。
その一点を、書きます。
※ちなみにこれからは脳の世界が鍵を握ると、
彼に脳の本を渡したのは私です…少しはインテージの役に立てたかなぁ…笑!
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