田下憲雄氏がインテージの社長に就任した時、
彼はみずからがリーダーとなって引っ張るこの会社のイメージを、
帆を掲げ、追い風にのり、
その艫が、真っ直ぐ目的地に向かって、颯爽と走る船に例えました。
自分の原稿を私には見せた事のない彼が、
この時ばかりは嬉しいそうに見せました…笑!
勿論、この船は、日本の産業界をまっしぐらに走る船であると同時に、
社員全員の生活を守る船です。
そして、
目的地は、社員ひとり一人の自己実現と、その幸福です。
同時にこの船の根底に流れているのは、
●人間への尊厳です。
インテージの前身である社会調査研究所は、
憲雄氏が新入社員だった当時、とんでもないブラック企業でした。
残業の為に、明け方の3時ごろに帰宅し、仮眠し、
朝7時には出かけるという、モーレツ企業でした。
そんな苛烈な労働の中、当然のように会社に抗議する労働争議が起きました。
その組合の委員長になったのが、
憲雄氏です。
争議は激しくなり、彼は第二組合に、拉致され監禁されました。
また、
社屋はロックアウトされ、
社員は、社屋前に座り込みで、第二組合と睨み合い、
放水をあびながらも、捨て身で戦いました。
そんな中、
委員長の家族に危害を加えると言う脅迫があり、
私は、娘を背負い、手荷物を持って、まだ薄暗い明け方の林の中を逃げて、
実家へと避難しました。
あの時の記憶は忘れられません。
あの労働争議こそが、
人間を物や消費物のように扱い搾取する会社から、
人間の尊厳を取り戻す闘いであったこと。
だからこそ、
社会調査研究所(後のインテージ)は、
社員の自由と自主性が貫通する稀なる会社となりました。
この困難を潜り抜け、
一身に会社の為に働き、
現場から叩き上げて社長になった憲雄氏には、
人生の大方を過ごす会社こそ、人間の生き生きした臨場の場であらねばならない、と
言う信念があります。
新しく、インテージと名づけられた会社には、
高い知性を持つ人間開放のイメージを寄せたと思います。
そんなどこにも無い会社を彼は作りたかったのだと思います。
人間の尊厳とは、
ありとあらゆる世俗的属性をとっぱらい、
ただその人が存在している事に対する、尊敬です。
平たく言うと、生まれも育ちも関係なく、社会のいかなるヒエラルキーも、
学歴も地位や肩書きや階層も関係なく、
全ての人の、その人が
◎存在している事に対する、
無条件の、尊敬です。
この人間に対する尊厳を欠いた組織は、
いとも簡単に権力機構を成してゆきます。
労働者の解放を目的にした共産圏がなぜ崩壊したかは、
労働者の聖なる組織であったものが、
この大原則を怠たり、
権力の巨塔に成り下がったからです。
人間の尊厳の視点がない企業や組織は、
同心円的に取り巻きや派閥の権力機構をつくり、
社員の自主性を奪い、
内部から腐って行きます。
インテージ(旧社会調査研究所)は、
社員全員が、一丸となって、
今にも倒産寸前の会社を、
社員の力で立て直した、
新しいビジョンの会社なのです。
だからこそ、社長を始め、役員、上役らは、
そこになんらかの上下の権利関係が発生する場合は、
権力を持っている者は、
その行使に対し、
極めて慎重をきたさなければならないと、憲雄氏は言っていました。
憲雄氏の言う、
社員は、できる人もできない人も、全員参加であり、
みんなが凄い!とは、
単に企業が利益や業績を追うなどと言う、
スケールの小さい話ではないのです。
人間の生きる場としての会社です。
人々の大切な人生が投影されるフィールドなのです。
そして、
あの組合を立ち上げ、闘った時の
社員全員の連帯と友情こそが、
インテージの肝であり、要であり、
魂で在るからです。
だからこそインテージには、
パワハラもセクハラも
イジメもない、
派閥も、上役の取り巻きも作らない
会社であらねば、
ならないのです。
そういう事をする人間は、恥ずかしいのです。
高い希望と知性を持って社会に貢献し、
ひとりひとりの潜在的ポテンシャルが、
花開いてゆく会社でなければ
ならないのです。
インテージウエイのイズムとは、
追い風に乗り、
大きな帆を掲げ、
世界と言う大海原を
艫が真っ直ぐ進む会社です。
憲雄氏私も時間が限られてきました。
憲雄氏も私もが願うのは、
その船の目的地こそ、
社員の皆さんの人生の充実と幸せです。
是非、手に入れてほしいです。
どこにもない会社、
人間の尊厳がその根底に魂として流れている会社を、
社員の皆さんに、託します。

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