ア ストロサイトの時代,なぜ遠野を舞台に映画を撮ったか?
それはね、
これからA Iのデジタル世界がどんどんのしてくる中、
ひとつは、児玉さんのガラス絵に描かれている●人間の労働の世界。
そこには働く喜びがあります。
もうひとつは遠野が、
金融資本主義経済に
●画一化されず、●消費されず、
伝統や風土、歴史的建物や風物が、
生き残っていること。
そしてもうひとつ,
遠野には、まだ人と人の繋がりが濃く、
つまり人と人の力が残っていること。
最後のひとつは、
アナログとは、大きな時間のスパンの中にあります。だから
すぎ越してきたことすべてが、
アナログ的考察の射程の中にあるということです。
私達の遺伝子の中にあるデータも、
そして、
今までの歴史データも、
これからの新しい時代のデータも、
すべてが考察,統計、統合の対象になり得るのです。
このスケール感が大切なのです。
なぜ人間には、知恵があるか,というと、
人間の脳は、
大きな時間の推移と変遷の中から
アナログ的に知性が創出されて、
人間が生き延びてきたからです。
だから,おそらくこれから時代は、
しばらくデジタル文明が続いたあと、
●デジタル時代
↓
●デジタルとアナログを統合する時代へと、
移行していくのではないか、と
私は考えています。
○ ○ ○
この数十年、資本主義経済の最悪化である金融マネーゲームがはびこり、
マネーゲーマーの一部ではお金がだぶつき、しかし、
本当に額に汗して働いている人々には、
そのお金が回ってこず、
むしろ人間が、経済の駒のように消費されていることに、
皆さんは、お気づきですか。
そこに若者達の絶望があると、
私は考えます。
この社会が近代で失ったものを、
もう一度検証し直す必要がありますね。
これからたとえ社会がA I化しても、
それに対峙しうる、
人間力と、人間の復活が不可欠です。
消費され、画一化されていないもの、
それがまだ、遠野にありました。
そして遠野以外の
資本主義の消費から免れた地方都市も、
その人間力で、盛り返して欲しいと
私は願います。
何が大切で、
何を失ってはいけないか。
そのヒントを
映画「どこかに美しい村はないか」に
託しました。

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