つい最近の事です。
私は漱石が「則天去私」と言う境地に辿りつき、
てっきり何らかを悟ったのだと思いこんでいました。
確かに漱石は「則天去私」に辿りついたがしかし、
現実的には悟れず、死ぬまで迷い続けたのではないか、と書いておられます。
それを読んで私はホッとしました。
今私は脳腫瘍の手術を受けて寛解状態で、半分認知症の良人を介護している。
当然彼の死も、更に私自身の死も視野に入れ、覚悟もできている。
それでも私は迷うのですよ。
可笑しいね〜苦笑。
もう過ぎ越してしまった過去はともかく、
これから私は最後までの日々をどう生きたらいいのかと、
迷うのである。
だから漱石も決して悟りを得たわけではない、と言う江藤氏の言葉に、
本当にホッとしました。
漱石は、「門」を執筆中に修善寺で喀血し、一時危篤状態にはいるが、
一命をとりとめ、
その後「行人」を書き始めます。
「門」を書いた後漱石は迷いから抜け出られなかったのだろうか。
大喀血の病後にも関わらずあの激しい「行人」を書いたのだ。
文を書く者として、漱石より遥かに末座にいる私は、
「行人」がどれほど脳や体を酷使して書かれたかが、身を切るように分かる。
彼は自分への追求を緩めることなく、
次の「こころ」そして「道草」へとペンを走らせ続けた。
もう漱石には首を垂れるしかない。
おかしな事に、もう自分に後がないと覚悟を決めているにも拘らず、
私が悩まされたのは、
下へ下へと社会の品位が下がってゆく、
現代の大衆社会に対する厭世感と、
自分以外の人間に対する忌避感で、
私本来の人間嫌いの気質が脳を掠めて仕方がない。
まるで「行人」の一郎のようです。
しかし人間嫌いや厭世感は漱石もあったはずで、
彼も、そのイライラに悩まされ続けたはずだぞと、私は確信するが。
ただそれも含め江藤淳氏の、漱石分析が素晴らしい。
つまり、悟ってしまったら人間じゃなくなる、と氏は書いている。
人間は悩み続け、煩悩から抜けられないから、
まさに人間であるのだと。
だから漱石も悟ってはいないはずで
むしろ、
迷いの真っ只中を走っているからこそ、
漱石は書き続けた。
死の寸前まで、書いたと。
苦しかっただろなあー、漱石は。
人間は死ぬまで迷い続ける。
だとしたら、
私の頭の中を駆け巡る私の煩悩は、それでいいのだと思いました。
そう思ったら途端に、何だか私のこころが柔らかくなった。
どんな人も生きるのは大変なんだね〜。
「ガラス戸の中」に書いてあった漱石の姿を思い出す。
そこには、家族が連れ立って活動写真を見に行き、ひっそりとした家の中で、
原稿を描き終わり、硝子戸を開け放ち、しずかな春の光に包まれながら、
うとうととひと眠りしようか、と言う漱石がいます。
なんとなく答えを見つけている漱石がいます。
昼寝で思い出したのは良寛で。
良寛は、修行していた備中玉島(岡山県)の円通寺で、
師匠の大忍国仙和尚から偈(卒業証書⁈)を貰います。
それには、
のんびりしてこころの広い良寛や、
この藤の杖をあげるから、
どこかの壁にでも寄りかかって、
昼寝でもしておいで、と。
あゝ私は自分が死ぬ前に、
漱石は悟っていなかったと言うことがわかって良かったなあーと思いました。
彼も最後まで悩み続けたということを知ることができて、
良かったなぁ。
私の中に穏やかなる風が流れる。
「カラマーゾフの兄弟」に出てくるロシア正教の長老ゾシマがその死を前にして、
カラマーゾフの兄弟の末弟アリョーシャに言います。
「神が愛した民衆を、愛してください。」と。
ほんとにそうだ、そうだと思いながら、
ホッと、しました。
つづく。

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