良寛も晩年は引きこもった国上山からふもとの村へ降りていきました。
歳をとり足も弱くなったせいもあるのですが、
やっと民衆に同化する自分を見つけたのだと私は思います。
漱石も中途半端な知識の知識人では無く、口先ばかりの政治家や頭でっかちの役人ではなく、
巷で懸命に生きる庶民の為に書いたと思います。
散々に人間の狂気や愚かしさを書き尽くしたドストエフスキーも、
最後の「カラマーゾフの兄弟」で、
アリョーシャに希望を託し、
最後は彼を修道院から民衆の中に
帰しました。
彼らの中の鋭敏な神経と明晰な頭脳は、
絶えず大衆の欲深さや毒気に辟易しながらも、
しかし一方では大衆の素朴さやその生命力に言葉を託したと思います。
巷で懸命に生きる庶民の為に彼らは書いたと思います。
私も自分の頭の中に湧いてきてしょうがない厭世感や人間嫌いを、
何とか追放しようと苦しみました。
ただ漱石に出会った事、漱石を読み、
漱石の葛藤に私自身を重ねながら、
何とか出口を探せました。
不思議な事に良寛を見つけたのは、
漱石の影響ではありません。
確か中野孝次先生の「風の中の良寛」を読んだからです。
当時の私は良寛の背中を追いながら生きようと思いました。
いつも、こんな時、良寛ならどういう判断や決断をするだろうか、と
考えて生きてきました。
最後に皆さんにお伝えしたいのは、
実は「吾輩は猫である」に
こんな一行が書いてありましたよ。
「相互を残りなく解するということが愛の第一義である…」
漱石は分かっていたのですね。
分かって書き始め、書き続けたのだと思います。
あの「行人」の一郎も「それから」の先生もそして「道草」の建三も、みんな、
その光の出口をみていたのですね。
そして女達みんなが男にまけず奮戦しました。
「行人」のお直も「こころ」の先生の奥さんも「道草」の建三の細君のお住さんも、みんなが
男の向こうを張って、頑張りました。
それでいいのです、いや、
それがすごいのです。
( 終わり。)

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