なぜ私が三人の青年に出会い、
ひとまず安堵したかの理由を
書かないことには、
まず言えることは、私はこの三人の青年の中に、
決して軽佻浮薄ではない、
時代を生き抜く確かさをみて、
ホッとしたのである。
菊池陽佑青年は、
これからのAI高度人工的時代の中で、
人間と人間力また、人間らしく自然と共に生きることの実践として、
自然栽培の米づくりをしている青年です。
彼は、現実的な経済の成功をも極めて行くと思います。
おそらく自然栽培が単なる理想ではなく、
経済的効果をもたらすという、彼の現実的な姿を見て、
あとに続く人々もでてくると思います。
そして君島青年は、
これからドンドン衰退するであろう人間社会の文化を、
再度新しく形成できる力を持っておられる。
特に人間と人間の絆とつながりの文化の、
本質を理解されており、
それをどう築いていくかについて、
彼独特の柔軟性と考察力、そして実践力があります。
また現在においても、
その生き方は大変魅力的でもあります。
三番目の渡邊青年は、
経済分野において、
これから行き詰まり、糞詰まりになってゆく資本主義社会と消費社会の隘路を、
その生き方を含め、
どう開いてゆくかを探す、
視野と分析力を持っています。
時間はかかると思いますが、
試行錯誤の中からきっと彼はその出口を探し当てるでしょう
そして、彼らに共通する
優れた二つのポイントがあります。
一つは
自分で考えることができる。
そして考えたことを、
思想化する能力がある。
この思想化できるということが大事なのです。
考えたことを具現化する前の前提として、
脳内での整理をし、それをまとめる総合力として、
思想化(言葉化)が、大変重要です。
二つ目
時代を相対化できる能力がある。
社会や時代認識は、
その時々の人間達の欲望や欲求が作り出す幻想を寄せ集めたようなもので、
出来上がっていきます。
つまり社会のその本質は、
自分にとっては、
他人達が作り寄せ集めた時代の幻想です。
それに流されず、迷わされず、
それらをきちんと相対化する能力を持っている。また、
相対化した上で、
社会の実体と実相を見極め、
優先順位を図る能力があるかどうか。
以上の点において私はこの三人に
花まるをつけました。
それが、
彼ら三人だけではなく、
彼らを中心に同心円が広がる事。
また、全国にも、
同様の優れた青年達がいるであろう、という、
私の希望の推察において、
次の時代を危惧する私の不安に、
一応のピリオドを打ったと言う事です。
兎にも角にも、これからの時代を
彼らに逞しく、
賢く、
生き抜いてほしいです。

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