芥川龍之介の小説ではなく、
随筆を読んでいますが、
読んでいてとても楽しいです。
純心でおちゃめな龍之介青年がいます。
このままだったらどんなに良かったかと思います。
反対に、
龍之介の遺書を読むと、ちょっと情けないです。
芥川龍之介がどれほど苦しんだか、どれほど、
もがいたかは、よくわかります。
それについてはこのシリーズ最後に総括を書きますが、
その前に、彼に対する厳しい苦言を書きます。
芥川の遺書は冒頭で、まず、
自分の不倫についての反省と言い訳が書いてあります。
そのつぎに子供達へのメッセージがあり、
最後に文子夫人に宛てて、
死後の遺体の始末と自分の著書についての出版その他の、
事務的な処理を指示しています。
なんとも甘ったれです。
なぜ不倫相手のことなどを書いたか。
なぜ黙って死ななかったか。
不倫のことなどを書く必要がどこにあるのか。
多分彼の心にずっと引っかかっていたから、書いたのでしょうが。
しかし、最終的には、文子夫人に全部背負わせています。
もしかしたら裏切ってしまった文子夫人への贖罪もあるのかも知れませんがしかし、
それよりも何よりも書くなら、
「ごめんなさい」でしょう。
また、相手の女性も始末が悪いのですよ。
この女性も芥川自身も、
どこか文子夫人に対して上から目線の節があります。
要するに、見えていないのです。
大切なものが。
龍之介が本当に結婚したかったのは別の女性ですが、
その女性は、養子家の人々に反対されて、諦めてしまいます。
その後の文子さんとの結婚は、
養子家の都合によるもので、
龍之介としては、
自由に恋愛をしたい自分の意志を、
親や伯母に譲ったかも知れません。
結婚した日の翌日、この初々しい花嫁は、龍之介のために黄色の水仙を買ってきます。
それに対して龍之介は、
「来るそうそう無駄づかいしては困る」と小言をいいます。
しかしそれは龍之介の意思ではなく、伯母から言えと言わされたと言うのです。
文子夫人は、龍之介にも、伯母さんにもお詫びを言っていたというのです。(或阿呆の一生)より。
なんとも情けない夫であります。
妻を守らないと…。
この伯母を含め芥川の嫁として文子夫人は相当苦労したと思います。
ただこの事を書き残している処を見ると、龍之介自身も心が痛んだのでしょう。
芥川龍之介は、
ほかの人々に比べて膨大な本を読み、知識も半端じゃありません。
しかしこの青年の頭の中は、
一時が万事,そういう風に自己保身することで、
精一杯だったかもしれません。
そして自分はどう生きたらいいか、
わからない混乱もあったのかも知れませね。
一方、東西南北の知者達の本を読み尽くしたごとくのような龍之介は、
当時の文学界に溢れていた、ヒューマンな人間像ではなく、
善悪の彼岸、つまり善も悪も知も痴愚も、その悪徳の世界も含めて、
人間がおこす、あるいは、
人間におきる現象としての人間像を、
なんらかの小説にしたかったかもしれません。
芥川が何か新しいことを試みようとしたがうまくいってなかったと、何人かの友人が証言しています。
自分に起きる人間という現象をとおして、
つまり不倫をしたりして彷徨う、
情けない自分も含めて、
世俗の中で、浮き沈み、溺れそうになりながら生きる人間の真実を、
文学として書き、
なんらかの爪痕を残したかったのかもしれません。
しかし、それを成し遂げていく為の障害になっているのが、
養家の両親や伯母の、
言いなりになっている龍之介の在り方です。
正しくは養子家と伯母に育成されることにより、
彼らに心理支配されている気の弱い龍之介の本心または自然的な欲求や欲望の流れが、
彼らによってが遮断され、抑圧されていることです。
それが常に,龍之介の中で本心とねじれ現象を起こし、
龍之介の創作活動の目を曇らせ、ブレーキをかけ、じゃまをしている。
私は彼の自殺を含めて,全ての根源的原因は、
ここにあると考えます。
龍之介がしっかりと自立し、
小説家,文学者として、
毅然たる使命感を持つ為にはまずは、
毅然と彼らと戦い、彼らを排除し
脳にすりこまれた養子家と伯母からのローカル情報及び
彼らにたいする畏れから脱することだと思います。
これまでの自分の先入観や既成観念を捨て、
全く自分の本心を基にした、
客観的ゼロ視点から、人間を捉え直す必要があります。
また同時に、
これまでの養子家や伯母が中心の家族,家庭ではなく、
文子さんと子供達と彼自身を基にした家庭を作り,
それを
根拠地にして、
つまり、何があっても、
自分が帰っていける場所をしっかりと確保して、
安心して、創作活動に没頭することが必要でした。
つまり龍之介は、彼らとも、自分とも、
戦う必要がありました。
それを回避するしたからこそ、
龍之介の頭の中には始終、
養子家と伯母の介入と呪縛でイライラとし、
平凡であるが故に、自分の言葉が通じない文子さんとの家庭生活に対する消耗があり、
その一方で、そういうものから解き放たれて、
もっと自由に、恋愛も含めて、
自分の自然性のもとに生きたい願望との間で自己確執していたのではないか、と思います。
それが自分の不倫に対する居直りであり、
また彼や、養子家の親や伯母の世話や生活一切の雑事を引き受け、
彼を下支えている文子夫人の大切さが見えていない原因です。
次回は、
彼の遺作に、
キリストのことを書いた作品「西方の人」がありますが、
そこにはキリストに自分を投影し、感情移入している龍之介がいます。
それを含めて、次回は芥川が何を書きたかったか等を書きます。

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