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続、芥川龍之介とともに、総総括 2、やっぱりそうであったか。

海老井英次著「芥川龍之介」(勉誠出版)の中に、

やっぱりそうであったか、という記述がありました。  

芥川龍之介に見えていたのは

ロゴス(言葉)による物語り、すなわち虚構世界ではなく、

次々と起きてくる脳の反応による現象世界ではなかったろうか、

ということです。

ひとつは、芥川によれば

『人生とは<神経>に触れてくる<現象>として化しており、

昆虫が触覚で事物に触れるように接触するだけのものになっている』

※海老井英次著「芥川龍之介」(勉誠出版)より

という彼の感想と、

もう一つが、谷崎潤一郎との対立論争です。

これはちょっとわかりにくいと思いますが、

谷崎は、

小説は、その虚構性、筋の面白さが、

小説と言う形式が持つ特権である」と主張します。

それに反論して芥川は、

『「話」らしい話のない小説は勿論、

ただ身辺雑事を書いただけではない

それは、

あらゆる小説中、

最も詩に近い小説である。

しかし、

散文詩などと呼ばれるものよりも、

遥かに小説に近いものである。

僕はこの話しのない小説を最上のものとは思っていない。が、もし、

「純粋な」という点からみれば、

ー通俗的興味のないという点から見ればー

最も純粋な小説である。

画を例に引けば、デッサンのない画は成り立たない。

しかし、デッサンよりも色彩に生命を託した画は成り立っている。

幸いにも、日本に渡ってきた何枚かのセザンヌの画は、明らかにこの事実を証明するであろう。

僕は、こういう画に近い小説に興味を持っている。』

※海老井英次著「芥川龍之介」(勉誠出版)より

という彼の主張です。

      ◯

当時も今も、

小説はストーリーの中で展開される人間模様や葛藤や苦悩や快感や、

その他重厚性や軽妙さなどが、小説たるものとされています。

その多くは、芥川の嫌う感情や感傷が多く散りばめられたものであり、

芥川に言わせれば、それは虚構であり、いわば作りものです。

それより最も人間の真実に近いものが表現されるのが詩であり、

通俗性を廃し、むしろ話のない、

詩に近いものの方が、最も純粋な、小説である、と言うのです。

実は、私も芥川と同じ考えです。  

人間が現象であり、

それは場面場面の連続としてあるなら

その瞬間瞬間の心や感性を切り取ったものとして

最も近いのが詩と映像です。

宮沢賢治がいうところの

「心象スケッチ」です。

日本には短歌や俳句というものもある。

そして、芥川のこのシリーズのあとがきで、

私はロゴスのことを書きました。 

つまり人間は、

ロゴス(言葉)を発明したことで、

さまざまな事を意識で認識したり、

説明をつけたりすることができるようになりました。

しかし、ロゴスによって、人間の意識は、ある限定を受けます。

例えば「あ」と「お」という似た形の文字の間には、

あ〜お間に限りないバリエーションが存在します。

しかし「あ」という形を<あ>と言うふうに言葉として限定し、

同様に「お」も<お>と限定した瞬間から、

「あ」と「お」の間に限りなくあったバリエーションは、

消えてしまいます。

人間は、ロゴスを発明したが、その一方で、

ロゴスに囲い込まれてしまいました。

そのロゴスを駆使して書いた物語りは、果たして本当の真実といえるのだろうか。

むしろ、言葉(ロゴス)にならないもの、或いは、 

言葉と言葉の間や行間に漂う、

気配にあるものの中に真実があり、

それをいかに小説として露わしていくか、である。

それは、

昆虫がその触覚で、

感度のたかい感性と感覚を用いて

生命活動をしているように、

人間もその感性や直感を用いながら、

深度や空間、時間性、事象現象を

探りながり生きているようなものであると、

芥川は考えていたのではないでしょうか。

人間は言葉によって説明できる世界を生きていると同時に、

言葉によって説明できない世界でも生きています。

その目には見えない世界、

意識では読み取れない世界を、

どのように言葉を以て表現していくか。

本当はそこにこそ、

小説家や芸術家の才能が発揮されるのだと、私は考えます。

その点、シリーズで何回も書いたように、夏目漱石は、

物語を書きながら、

脳の中で現象が起きていると言うことを、 

見事に長編小説として、

結実させていきました。

しかし芥川龍之介は、

まだ、詩に近い短編しかかけませんでした。

それでも最初の頃の作品「羅生門」はみごとに、

そういう作品でした。

そして遺作の「歯車」もまた、

カミソリのように鋭く磨かれた言葉、空間、時間、映像、

そして極められた感性と感情が、

美しくて描かれています。

おそらく芥川の才能の本領は、ここにあったと思います。

しかし本当に残念なことに、

芥川自身も、そこに確固たる確信をもてず、彷徨いました。

谷崎のいうストーリーの世界は、あくまでも、人間が意識で捉えている世界です。

つまりは、虚構の(作りものの)世界です。

それに比べ、芥川のは、

あまりにも先進的な感受性であり

当時の殆どの人がわかり得なかったと思います。

現代脳が解明される中、

むしろ芥川の先見性が光ります。

1、人間は物語りの中を生きているのではないこと。

2、物語りはあくまでもロゴスの囲いの中の事であり、

3、人間はむしろもっと大きくひろく、自然の中で、

植物も含めた他のいきものと同じように、

自己を現象化させて生きているのだと、いう事です。

       つづく。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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