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続芥川龍之介とともに総総括 4どういう風に自分を現象化させたらいいか?

人間にとって最も気になるのは、他人の存在ですね。

他人とは自分以外の人間で、

しかも、人間は一人では生きれず、社会を構成しなければなりませんから、

生きる課題のひとつが、

どのように他人との関係を築いていくか、です。

以下は自分を現象化させるか、についての、

私の極めて独創的な考えです。

まず、

????他人との関係は、ことさら意識して築く必要はありません。

アッサリと繋がっていればいいと思います。

なぜなら

あなたが????存在することだけで、社会というものが成立しているからです。

もっというと、

あなたが生きることで、そこには、不可避的に、

あなたを中心とする関係性が、出来てしまうからです。

その不可避的におきてくる関係性において、

あなた自身が、誠実で真摯であれば、もうそれだけで十分なのです。

詳しく書きます。

人はその人固有の現象を生きているのだということ。

それは、他者とは⭕️個絶しており、

社会とは、その現象がより集まったものである、という事。

社会とは、あなたが好むと、好まざるにかかわらず、

人間の群が、交差し、錯綜し、 

無意識のうちに干渉しあいながら、

出来上がっているという事です。

私達は、いつの間にか、自分や他人がお互いに影響し合っているような

????錯覚の中を、生きるようになりましたが。

たしかに影響し合います。しかしそれは、結果的に影響がでる、という事です。

大切なのは、影響されることではなく、まずは、

????自分がどういきるか、なのです。

ましてや、自分がどういきるかを

放っておいて、

他人からどう思われるか、とか、

他人に◯◯とおもわれたいとか、

他人や社会から承認されたいなどは、

脳の原理からいうと、

ありえない、不毛な認識と欲求です。

それを踏まえて参考になるかならないかわかりませんが、

私の体験を書きます。

私は今、韓国ドラマの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」を再度見ています。

ウヨンウは、ご承知の通り、自閉スペクトラム症、いわゆるアスペルガー症候群です。

アスペルガー症候群の人は、基本的に他者にあまり関心をもちません。

というより、

自分が関心がある事に、脳の神経エネルギーを集中させていきます。 

そのせいか、天才と言われる人々には、アスペルガー症候群の人達が、たくさんいます。 

彼らは、

他人を忖度する事や、

他者の心理を深読みする脳の回路が弱い。

だからウ・ヨンウも他人を忖度せず、いつも真っ直ぐ、

率直に言葉を吐きます。

時にそれが余りに直球すぎて、

相手の泣きどころに当たったり、

その場の雰囲気からズレたりしますが、しかし、

なんと見事で、気持ちがいいことか。

実は私はずっと以前にアスペルガー症候群の事を勉強させてもらったのですが、

その時ある事を考えこんだのです。

何を、考え込んだかと言うと。

アスペルガーの人達は、

他者に対して閉じて無関心だとか、寄り添わないとか、

なんだかマイナスの事を言われがちですが、まてよ、

もしかして脳の原理からしたら、

そちらの方が自然であり、

脳のエネルギーが最も有効につかわれている。

むしろ

私達の方が脳の使い方を、

非効率に使っているのではないか、という事です。

つまり私達は、他人のことを気にするあまり、

最も本質的で核心的なところから自分をそらし、

余り重要ではない、脳原理からすると無駄で必要のない、

周辺のことや、人間関係のことばかりに

神経を使っているのではないか、と、

気づいたのです。

ズバリ核心的な言葉を吐く、

アスペルガーの人達の方が、

よほど賢い脳の使い方をしている。

それに、彼らは思いやりがないわけではありません。

それに比べて、私は、

自分の人生にストレスを与える

余計な周辺のことばかりに、

神経をつかい、

どんどん本質的ではないところで

無駄に脳を消費させていると。 

なぜそうなるか?

個人は所詮個人でしかなく、

脳が他者と個絶している以上、

人間が孤独である事は免れようもない事実です。

漱石も芥川もそのテーマは、

人間の孤独でした。

その冷厳な事実を、直視しできず、

受け入れがたい為に人間は、

自分と他者との間に、 

あたかも自分と他者とが同一であるかのような、

共生と共同の幻想を、緩衝地帯として成立させたのではないかと、思いました。

長い歴史の中で、

そういう文化????共同幻想(ソフト)を作り出したのではないか、と私は、

考え込んだのです。

有史以来、

集団におけるパワーピラミッドにより、

人間社会が権力と支配の機構を作り出し、その結果、

個絶する脳をカバーする為に、

推察によるシュミレーション機能を働かせ、

忖度や隷従、更には推察、ときには邪推という、

なんだか厄介な人間社会になってしまった。

それに加えて、

江戸時代に幕府の権利ヒエラルキーの末端で、

寺社奉行と名主による民衆支配として、

⚫️<村八分>という管理が徹底されていった事です。

そういう歴史的な背景もあり、

他人への配慮や忖度や、

必要以上に気を回すことや、

今でいう同調圧力がもう、

日本人の国民性のようになってしまったのではないか、

と、

私は考えたのです。

つまりは、私たちは、  

自分の言動をカムフラージュする、余計なものをいっぱい身につけてしまった。

そこで私は思い切って、

そして私の脳を、

もっと有効に効率化する為に、

以下のように、頭を切り替えました。

1、他者の動向を一切気にしない。

他人がどうであれ関係ない。

2、優先順位は、

自分の考えや、感覚、感性であり、その上で、

⭕️出来るだけ率直な言葉を吐く。

3、充分に他者への配慮をしつつ言葉を吐き、行為するが、

それにどう反応するかは、

⭕️相手(他者)の自由であり、

結果的に残念であっても、気にしない。

4、.無駄な親切、おせっかい、気づかいを一切やめ、

自分も他者をも甘やかさない。

5、自分の孤独は、自分で賄い、その心の隙を、

他者や家族で埋めない。

     ◯

そして以下のことは、私のカウンセリングの恩師から厳しく言われたことです。

⭕️ 本当に愛情があるなら、

余計な親切や同情は一切しないこと。

なぜなら、そういう事をしてしまうと

⭕️相手が自分で気づくチャンスを奪うことになる。

冷血ぐらいに冷めて突き放すぐらいでちょうどいい。

人間は、その人の頭で考え、傷ついても、その人は成長していく。

大事なのは、

どんな人も、自分の頭で考え、

⭕️自力で生きる生命力を持って、

この世に誕生した事。

そこに圧倒的な信頼をおくこと。

まさに、ウ・ヨンウの在り方そのものです。

そういう風に自分の頭の中をシフトチェンジしてから私は、

ほんとうに生きやすくなりました。

人間関係はシンプルになり、

他人への執着も依存も、殆どなくなりました。

反対に私の脳内思考の本質へのアプローチは、

以前よりグッと早くなった気がします。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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