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ホンモノかニセモノかが、淘汰される時代。

昨日も書いたが、戦後からの時代を見渡してみると、

いつの間にか私達の社会は、

どっぷりと物質文化の中に浸かっているうちに、

人間の意識や、日常生活の隅々まで、表面的なコマーシャリズムに踊らされるようになってしまった。

それは情報化時代に入っても変わらず、

選挙はショー化してドンドン政治は空洞化してしまった。

そしてその象徴のように、

首相のツィート、更にはオリンピックも、

大手広告代理店が演出するということが、

当然のようになっていたし、

経済もマネーゲームに翻弄されている。

ただねー、

それも、もうあの時が頂点で、

今は下り坂かも知れない。

     ◯

ホントは中身が大事なんだよね。

極めて単純な真理だけど、

中身さえしっかりとクオリティが高いものや、充実したものであれば、

外側は、ボロでも粗末なものでもいいんだよねー。

それは、物質も、人間も同じで、

そういう中身に対する自信が大事なんだね。

もうカッコづけの時代は終わりつつある。

そして、

これは、私の独善的な感かもしれませんが、  

今、人々は、それに気づき始めているかもしれない。

ある種、コマーシャリズム経済、

つまり、宣伝効果の経済が終わり、

これからの時代は、ホンモノかニセモノかが淘汰される時代に入ったかもしれないなぁー。

確証はないんだけれど、そういう気がしている。

なんだか漠然としていて、

ごめんなさい。

いずれ、それが、はっきり見えてくると思います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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