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私は社会への適応があまり得意ではない。

最近になってよく耳にするのが,発達障害という言葉で、

私は発達障害かもしれません。

しかしどだい人間の脳はさまざまには偏っていますから、

私は、人間は誰もが発達障害だと思っており、

障害なんてレッテルを貼ること自体が、ナンセンスだとも思いますが。

しかしうちの子供達からも,お母さんはちょっとおかしいとも言われます…笑

そういえばこの世や,社会は、

私には着心地の悪い衣服のようであり、

また、集団というのが苦手です。

まあ、いろんな意味で、私は社会への適応があまり得意ではない。

他人を忖度しないし、顔色もみないし、

かなら言いたい放題,やりたい放題をやっていますからね…苦笑!

しかしながら、私の周囲にいる同年代のら方々や大学の同窓などと話すと、

彼らは確かに社会に適応しているかもしれないが、

第一に話が面白くない‼︎…笑!

それに、話す内容が,自分の周辺の

体の老化や医療や身内や孫のことばかりで、

私はなんともうんざりします。

では、

脳の観点から言うと、脳は社会に適応するように機能しているか?

というと、それが怪しい…笑

なぜなら,私たちの脳はその思い込みと、他者や社会を仮想することで、適応しようとしているからです。

つまり〜ではないか?

〜だろう,という仮想と推測の世界で、

他者や社会と接触しているからです。

まるですれ違い漫才のようなものです…笑

蟹は甲羅に似せて穴を掘る、ではないですが、

私はまさに,自分に合わせて,自分の人生の穴を掘ってきたなぁ〜と思います。

それが良かったのか悪かったのかわかかりませんが、

まあ、半分半分かな〜と言うところです。

一茶の、

「めでたさも、中くらいなり、おらが春」って、

とこですかね〜、

今は夏ですが(笑)

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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