宮沢賢治が親友嘉内をかなり強引に国柱会に加入させようとし、
上野の図書館で大喧嘩し、以後嘉内からは絶交されてしまいます。
唯一,自分の言葉が通じる相手を失った賢治の失意と悲しみを思うと、胸が痛いです。
例えば妹トシを失った詩「永訣の朝」の深い悲しみの奥には、
その頃の賢治が落ち込んでいたもう一段深い傷と孤独の断層があるように私は思う。
それが妹の死によってふきだしだようにも思います。
賢治のこの薄ガラスのように脆く壊れそうな悲しみと孤独を知らない人ほど、
賢治を神格化してしまう。
賢治も普通の人同様、いやもしかしたら、もっともっと弱いかもしれません。
脆く壊れそうな自分を立て直しては明日を生きる。
そういう迷いの真っ只中だからこそ、アメニモマケズの詩がうまれ、
グスコーブドリで自分を擬装しふるいたたせたと、
私は思う。
彷徨い続ける賢治が杖のように縋ったのが法華経であり、
彼の手帳の第一ページに,ヨレヨレの字で書かれていた、
「當知是処 即是道場 諸仏於此
得三菩提」
そして更に三ページ目に書かれていた、
「諸仏於此 轉於法輪 諸仏於此
而般涅槃」
という経文こそ、
折れる自分に言い聞かせ、
ジョバンニを再びこの世へと引き返させたと、
考えます。
それは、
自分が置かれたこの世こそ、
道場に場であり、
諸仏が悟りを開き、
教えを説いた涅槃の場であるから、
この現実から逃げ出してはいけない。
という経文です。
私は賢治はずーっとこの教えに励まされ、噛み締めながら、頑張ったと思います。
だから最後は、
「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて
み祭り3日 空晴れわたる」
なんです。
空、晴れわたる、なんです。
あーここまでがんばられたぞ、って。
そしてウキペディアなどに書かれている、高瀬露さんは、
決して悪女なんかじゃありません。
遠野で小学校の先生をしておられた、優しくて、心の澄み切ったクリスチャンの
素敵な女性です。

写真は少し色付いてきた庭です。
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