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人はなぜ生きるのか、2、宮沢賢治の正座。

ずっと考え込んだまま,答えがでません。

ただ、ちょっとだけ心が動いたのは、このFacebookでお友達になったTさんが、

拙著「拝啓宮沢賢治さま」を買ってくださったらしく、

その本の写真が載せられていました。

あーそういえば,宮沢賢治こそ、自分の理想としたことが、すべて打ち破られ,つまり総挫折して、

そのまま彼自身は正座し、死んでいったなぁー、ということです。

そのまま正座して死んだというのは、

彼の理想世界は,彼が救おうとした農民から、打擲されてしまったからです。

それでも賢治は,彼らの前で正座していた,ということです。

打擲とは、叩きのめされた、という意味です。

つまり賢治が直面した農民世界は,

彼が⭕️トルストイ主義で幻想したよりも、

はるかに厳しい冷厳な農民の生活があり、

その底に蠢くドロドロとした深い情念や怨念が、賢治の安直な理想を、打擲しました。

それは、彼がウカウカと、金持ちのインテリ坊ちゃんの観念的に、安直に理想化し、救い得る世界では、

とうていありませんでした。

それでも、賢治は、農民の前で正座し、肥料や稲作の相談に耳を傾け助言した。

その時の賢治は、何を考えていたのだろうか,と私は思うのです。

その農民の肥料相談の後、数時間後に,賢治の命は尽きてしまうのですが、

ただ,彼が辞世の句として読んだものには、

どこか晴れ晴れとした空気が漂っています。

だからあー何か掴んだな、と、私は思うのですが、しかし、

安直に賢治を偶像化したり、

薄っぺらに、わかったようなことは、書きたくありません。

賢治の心の推移がどうであったかは、 

賢治しか知り得ない深い断層の中にあり、

それを軽々しく扱いたくないのです。

何もかもが失敗した賢治,時にカルトに嵌りそうになり、

大事な親友を失った孤独の賢治は何を考え続けたのだろう。

賢治自身は、その自分を、蜃気楼を見ていたと書いています。

銀河鉄道を降りたジョバンニは、何を考えたのだろう。

不確実で、何一つ自分の理想通りいかない現実の中、

何が賢治の芯を支えたのか。

もう一度、賢治の言葉を読み直しです。

レウィシア、オキナグサの画像のようです
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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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