非凡とは何か、というと、それは自分の凡庸さをつき止めている人間のことです。
逆説的にいうと、凡人こそは非凡であろうとして、あたかも自分には才能があるかのような振る舞いをしたり、また、才能があるような勘違いをします。
人間は、自分という人間に突きあたり、
自分という人間の内容が、いかに貧相で貧しいかを突きつけられます。
人間は本当はちっぽけで、
誰もがたかが知れているのです。しかし、
それをしっかり受け止めて,受け入れられる人は,どんどん覚醒していきますが、
受け止めず、受け入れず、反対に流してしまったり、見ないふりをする人のほうが多いのです。
しかしそれも原因があります。
なぜなら、人間は自己幻想の中を,生きているからです。
人間は自分が理想とする人間をイメージして生きようとします。
それを自己幻想といいます。
特に親に期待された人間は、
親の期待に答えたいと頑張ります。そうしで、
自分がその期待に添える人間であるかのような勘違いをしだします。
自己幻想が膨張するのです。
人間はどんな人間も自分への尊厳を持っています。
それが理想的な自己幻想に重なります。
だからたいがいの人は、
その自己イメージ(自己幻想)を下げたくないのです。
が。
自己イメージが、等身大に近いほど、生きるのは生きやすくなります。
反対に、自己イメージが高く、等身大との差が大きいと、
劣等感或いはコンプレックスになってしまいます。
つまり自分を突き止めて、それを受け入れていく人は、
自分の等身大を生きようするので、
他の人と自分を比較する必要もなく、また
世間の物差しなども,関係ないのです。
そして、自分を突き止めた人間は、
自分は大したことが無い、という謙虚さが湧いてきて、
それをうけいれれば、逆にそこから、
自分にはないものを学びとり、自分を磨いて行くことができます。
私の経験では、自分の等身大,つまり、自分は大した人間じゃない,と気づくと、
反対にホッとしたり、
不思議な喜びが湧いてきます。
そこから,妙に意欲が高まり、
だから一流になればなるほど、教養も高まっていきます。
教養が豊かになればなるほど、視野が広がります。
視野が広がると、それは、
思考の
深さに繋がります。
視野が広がり思考が深くなればなるほど、
人間とは何か、生きるとは何かの、
普遍的な世界が見えてきます。
それは、多分、とても優しい世界で、
人々が、一生懸命に生きている、という、人間認識が
生まれてきます。
どんな人も、人間は,日々、自分と格闘しながら頑張っていることへの、
温かい眼差しと理解が、熟してくるのです。
この「自分に突き当たる」という言葉は、良寛のことを指して、中野孝次先生が書かれている言葉です。
自分に突き当たり、自分の卑小さを突き止めた良寛は、
ひふみよ、と子供と一緒に鞠をつく、いう覚醒の世界に入っていきます。
子供と一緒に、無心で無邪気な、
澄んだ世界へと、
帰って行ったと言ったらいいのかなぁ〜。
そんな世界です。

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