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映画「僕の稲作は未来に向かって進む」は、食糧危機を含めた、新しい時代へと向かう中での一つの指標!

「僕の稲作は未来に向かって進む」小友地区センター上映会は、

現地小友のたくさんの皆さまにご覧いただき、ありがとうございました。

寒の戻りのなか、そして夜の上映にも関わらず、

本当にありがとうございました。

私はばっちゃの皆さんにまたお会いできて嬉しかったです。

さて、参加され恩田さんがおっしゃってくださいましたが、

この作品も映画「どこかに美しい村はないか」も、その根底にあるのは、

刻々と近づくA Iの時代、そして皆さまももう気づかれたと思いますが、

これまでの日本ではなく、

食糧危機を含めた、新しい時代へと向かう中での一つの指標として作った映画です。

次次と高度テクノロジーが進む中、おそらく経済は、A Iテクノロジー経済と、人間力の経済とに、二極化していくとおもわれます。

つまり機械が作る米と人間が作る米とにです。

それにつれ、日本の田園もその姿が一変していくでしょう。

そんな中、私は人間と自然とが協働して作り出した、

なんとも美しい村の光景と風景が消えてゆくのは、

⭕️人間にとって大きな損失になると考えました。

もっというなら、これを失うということは、

人間の精神(心)がこわてゆくことになると考えています。

そして、

失ったものを取り返しすのは、なみたいていのことではありません。

そういう意味と価値を以て遠野を撮りました。

そしてもうひとつ,二極化する経済の一極を担う人間力が創り出す⭕️生産性の象徴として、

佐々木悦雄さんと菊池青年夫妻が作り出す自然栽培の林檎と米、そして新里さんの手作りの豆腐。

さらにはそれを取り巻く、

遠野の品格が投影された、

郷土人形と、ガラス絵を、

能勢監督がモチーフにしました。

その続編の「僕の稲作は未来へ向かって進む」では、

菊池青年夫妻が、小友の30%を自然栽培の田として育て上げたい、

そして農産物で自立した小友を

世界へ向かって発信したいと、

言っています。

つまり、

この二つの映画は、単に絵に描いた餅ではありません。

また、感傷的に、作った映画でもありません。

また個人を美化するものでも、

ありません。

次の時代を見据え、先取りし,そして

これからくるであろう、

日本がさまざまに直面しなければならない困難な事にたいする、

大きなヒント、おおいなるテーゼとして、

日本全国を貫通する普遍性な課題として、

遠野から発信しました。

これから少しずつ、私自身がなぜこの映画を作ったかの

始めの始まりのところから、ペンをあげて書こうかな、と思っております。

そうすれば、この作品のもっと深いところへと、ご案内できるかと、

思います。

ボチボチと書いて行きます。

高いすぎに囲まれた荘厳な遠野の六神石人神社です

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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