私ねー、自分のことを生粋のフェミニストって自認しています。
ただね、上野千鶴子さん達みたいな女性のフェミニズムと私のフェミニズムは違うと思っています。
そこには、若き日の上野千鶴子さんや田原萌子さんや樋口恵子さんもいました。
オカマの人もレズの人もいましたね。
ただ私はとっても違和感を感じました。
自分が来るところじゃなかったと思いましたね。
なぜなら、私の中にあるフェミニズムに対する強い確信とは違うと思ったからです。
女性の権利も大事だし、制度を変えることも大事だし、それはそれでいいんですけど、それよりもっと大切な事は、
女っていうのは、男にはない生命力がある、と言う確信です。
女には底力があるんですよ。
確かに、男中心社会で、女性は、差別されたり、虐げられたりしていることも事実ですね。
しかしね、私はなんとなくそれを超える、
男にはない生命力を女性は持っていると思っていたからなんですね。
例えばね、子供を産むって事は子供を生み出すしかないんですよ。
それ以外はないの。
子供を産み出して一緒に生きていくしかないんですよ。
その踏ん張りっていうのがね、
女にはあると思うんですよ。
だから、それを知っている男は、必死で、女性を自分たちより格下に置こうとしているのだとも思いますよ…苦笑!
特にインテリ女性は男に対抗したり、
あるいはその制度やシステムを変えること、法律を変えることを主眼において、女性解放を言いますけど、
確かにそれも大事だけどね、
そういう事は、
生きることの外側の問題で、
本質的あるいは、
本領的なことではないと、私は考えています。
生きるって事は、そんなことには関係なく、生命現象が進んで行くことなんですね。
生命がその内在するエネルギーと実存能力を発揮、発動して、
日々現実に直面しながら生きる、
って言うことに尽きると思っていたからです。
制度とかシステムとか法とか言うのは、その外側にあるもんなんですね。
女性の中に内在する生命エネルギーは、そんなのものを超えてもう、
太陽のように輝いているんだと思っていました。
だから、最も大切な事は、
現実がどれほど差別的であろうと、
女性にとって、抑圧的でであろうと、
そういうものを踏み超え、ときにはうめきながら、我慢して、
もしかしたら呪いながらも…笑い!
それらの困難を超えていく女性の姿こそ、
そういう女性の姿をちゃんと肯定することこそ
本当の意味でのフェミニズムではないかと、
私は思います。
その1番良い例が、
私がプロデュースした映画「どこかに美しい村はないか」の中で、
田植えをするばっちゃたちの姿です。
おそらく、彼女たちがそんな良い環境で、恵まれたシステムや法の中で生きてこなかった事は、
間違いないですよ。むしろ
農業の重労働の中、お姑さんやお姑さんの下で命令されたり、こき使われたり、隷従させられたりと言う、
大変な生存環境の中で、
それにもめげずに生き抜いてきた彼女たちは、
田植えをしながらも、なんと朗らかで明るかったことか![]()
そこに溢れる天心こそ、かけがえのないフェミニズムです。
与えられた生存環境の中で、
もがき活動しながら、しかし生き抜く、それが女性は、
男性なんかよりすごく優れていると思います。
そして最後にご紹介したいのは、夏目漱石の女性観です。
夏目漱石は、当時現れた青鞜社の女性たち、特に、
平塚らいてうさんに関しては、
あんまり良い評価をしませんでした。
反対に、
樋口一葉さんの事はちゃんと評価していました。
その漱石も、森鴎外も、幸田露伴も、当時の文壇の若者たちも、
一葉さんがどんなに優れた女性であるかを尊敬していたと思います。
彼らは一葉さんを尊敬し、その周りに集まってきました。
自分たち男にはない優れた感性と、意志を持ち、
それを文学にして表現する力、創造性において、
男にはかなわないものを持っていたとして、
尊敬したと思います。
素晴らしいですね。
まさに女性は太陽なんですね。
それが私のフェミニズムであり、
フェミニストとしての誇りです。
ちなみに、私が書いた高村智恵子さんも、最後は高村光太郎乗り越えてしまいますからね、
素晴らしいです。

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