これぞ、女の自立、「おちょやん」

朝ドラの「おちょやん」を見て、これぞ女の自立だろ、と思う。

少女のおちょやん父親に対して

「あんたが私を捨てたんやない、私があんたを捨てたんや」と

強烈な台詞を吐き、その後も自力で生きていく。

体当たりで生き、あちこちに頭をぶつけては賢くなり、

しかしその包容力で包んでいた夫にも裏ぎられ、

一時は行方不明になる。

しかし、彼女を見つけだしたラジオのプロデューサによって、

再度

その強烈な個性が生かされていく。

いつも自分という強烈な熱の芯をもつ、

しかしそれゆえ苦労も多かったと思う浪花千恵子さんの

ラジオから聞こえた、その言葉は、

一言一言が明瞭であっからかんの関西弁で、

最初から最後にまで、

一本に言いきってしまう力強さがあったように記憶している。

女の自立をどう考えるか、というと

私もずっとそのことを考えてきた。

その結果、男がどうであれ、男社会がどうであれ、

差別がどうであれ、環境がどうであれ、

そういう負の条件を戦いながら、

くぐり抜けてきた女たちは、もう、ごまんといる。

真正面から戦うということも、

反対に、潜り抜けたり、よけて通るということも、

そういうことを、かいくぐり突き抜けてこそ、

自立が手に入る。

また、事と次第によっては,

自分の人生を邪魔するものは捨ててしまう事も辞さず。

誰にも依存せず、寄りかからず、

自分の孤独をそのまま生きて、突き抜ける。

男、夫の暴力なんかには負けない、

逆にやり返すか、無視するか、逆に噛みついて抑え込んでやる。

男なんて、しょせん弱いものですよ、ホントはね・・・苦笑!!

はっきり言えることは、そういう修羅場を潜り抜ける中で、

女がキリリと仁王のよう立ち、自立していく。

昨年だったか上野千鶴子氏が東大生の卒業式で祝辞を述べたが

私にしてみれば、最高学府の卒業式で、今更こんな普通のことを

いうのか、なんて陳腐で幼稚なことを言いくさるか、と思いました。

そんな軽薄な自立なんかではない、

社会の中で、目には見えないけど、

歯を食いしばって生きている女たち、

不条理だろうが、差別だろうが、

その中を身体を張って生きてきた無名の女たちが

山のように海のようにいる。

女が腹をくくり、自立覚悟をしたら、男なんか屁ともない。

そして女の母性の包容力こそ、かけがえのない財産だと

私は思っている。

みごとなる一輪 ボタン!

 

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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