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最後まで、自分にしがみついた、ある作家!

ある作家の話です。

もう物故者の作家です。

私が若い頃憧れた女流作家です。

人間の深層心理の世界を追究した作品を書いており、女流としては異色の作家でした。

作品はある種人間のデモーニッシュな心理を描き、その悪に対する神の救済はあるのか、というギリギリを

切先鋭く問い続けていました。

他の作家にはないその明晰さに惹かれました。

彼女はさらに突き進むにつれ、カソリックの修道者のように、その信仰の道を追求していったと思います。

ただ、私はある時から脳の不思議さのほうにシフトしていきましたから、

だんだん彼女の作品から遠ざかってしまいました。

最近、彼女のことを思い出して、

その最後の作品を買って読みました。

そこにあったのは、

いまだに、自分に執着する文体であった。

文章じゃありませんよ、ストーリーの中身でもありませんよ、

文体です。

文体にこそ、その人間の深層心理が現れるのです。

何か、いまだに自分に固執してるのかと思いました。

若い頃の私もおそらく自分に固執していたのだと思います。

だから、彼女の小説が肌にあった。

しかし、私は、歳をとるにつれて、自分に固執することの、

ばかばかしさが、わかりました。

今の私は、自分なんてどうでもいいです。

自分と言うのは、時代の川面に浮沈みする阿波粒のようなものです。

気の毒だなぁと思いました。

最後まで、自分にしがみついたのかと。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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