さーいよいよ今回のテーマ、人間は、その牧歌的世界を失ったら終わりになるの本題に入ります。
実はもう何回もお伝えしましたが、
私がなぜ映画「どこかに美しい村はないか」を私費を投じプロデュースしたかは、
人間の牧歌的世界が失われることに対する危機の重大性を、感じたからです。
牧歌的世界が失われるそのリミットが、
迫っていると感じたからです。
人間と自然とが協働して作り出す、
この美しい田園と人々の暮らしを、
是非とも撮っておかねば,取り返しがつかない事になると、思いました。
それで遠野の山に囲まれた美しい田園と、
そこで働く人々を能勢監督に撮って映画にしてもらいました。
四季の風景と、手作りのお豆腐屋さん,伝統人形をつくる工芸職人。
更に稲を作り、林檎を栽培し、収穫する人々の姿。
そしてそれらを描いた,人間への愛情が溢れる、児玉房子さんのガラス絵の世界。
人間は余りにも、利益や利便性ばかりに走ってしまいました。
現代は人間が人間らしく、おおらかに生きる事が、
できなくなりました。
大自然の恩恵につつまれて、慎ましく、謙虚で、厳しくはあったけど、
豊かなる情緒と精神性、それは、
おそらく昭和と平成の始めまでであったと思います。
そこからは,荒々しく、騒々しく、忙しい、
利益優先の金融経済と政治へと突っ走りはじめ
ITの支配する、
神経が休まらないデジタルの社会へと移行し、
確かに手続きは革命的に簡素化されていきましたが、そこから
遂に人間は、
人工知能のAI社会へと突入しました。
この社会、ほんとうに人間を幸せにしますか?
私から見ればこの人工知能も、
まだまだ脳全体が解明されておらず、
脳のアナログ性のメカニズムが解明されてない中での、
不完全な見切り発車です。
経済効率の為に、見切り発車をする人間は、
傲慢である故の、うかつさがあり、
それはだんだん時代のツケとして、
現れてくると思います。
※アナログ性こそが、人間の本領かもしれませんからね。
そして私にとっては大きな、重大な危惧である、
私達は、牧歌的世界を失い、
いよいよ人工的社会になっていくことが、現実となってきました。
◯
自然から切り離された人間は、どうなるのか。
この短絡する西洋人思想と文化が支配した500年の時が、
終わろうとしています。
日本の政府も、大多数の国民も、
この混乱に、しばらく翻弄されるでしょう。
しかし、日本という国が、
全く西洋とは異なる成り立ちであり、
歴史も、宗教も、思想も、哲学も、
全く彼らとは異次元の、
「山川草木悉皆成仏」という、
世界観の中にあること。
そこには、大きな包容力と、
生きとしいけるものすべてが、
生きているんだ、という、
認識と哲学があります。
それこそは、
豊かな四季折々、
山々や田園は美しく、木々と草花の賑やかな自然にかこまれた日本は、
唯一無二の国です。
賢く生き残って欲しいと、
思います。

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