女は美しい、というのは、まず、
1、その裸体が、なんとも美しい。
女の身体が神聖なる神の技として作られた、
これ以上ないその美しさに、見惚れるからだ。
2、女の心の中には、慈しみがある。
小さき者、弱い者対する、
理屈抜きの抱擁力や、慈愛があるからだ。
じゃなければ、子どもは育てられない。
だからこそ聖母マリアとして、また観音様として、描かれたきた。
(観音様は中性だが、私は女性だと思っている。)
3、
最も美しいのは、女は理屈で考えない。
女は身体で考える。
女は理屈抜きで子供を育て、
理屈抜きで、痛んでいるもの、病んでいるものに、手を差し伸べ、
理屈抜きで、現実に立ち向かう。
4、女のほんとうの本性は、
しぶとい!
男は、一度や二度くらい、それに尻尾を撒いた経験があるのとちがうか?
○ ○ ○
私が遠野にある児玉房子氏のガラス絵館で感動したのは、
そこに体を張って生きる、労働する、女達の姿が、描かれていたからだ。
田んぼや畑や果樹園で働く女達は勿論、
行商の荷物を背負う女達。
路上でキャベツを売る女達、
屋台で男に酒を酌する女達、
町工場や市場で働く女達、
赤ん坊を背負って自転車を飛ばす母親などなど。
いつも、歯を食いしばり、無言で頑張る女の姿が、
ガラスの光を通して描かれていた。
○
映画「どこかに美しい村はないか」の撮影では、
田植え、田の草取り、という重労働を耐えぬき、
軽々と稲を苗を植え、田の草をとるばっちゃ達の、朗らかな談笑と、笑い声が、
青空に、こだましていた。
法がどうの、制度や政治や権力がどうの、という以前に、
そこには「生と存在」の紛れもない
フェミニズムの世界がある。
法も、制度も、政治も変えていくには時間がかかる。
その前には、
男達のクソみたいな女に対する上位意識と、
勘違いが、立ちはだかる。
そういう、くだらない、幼稚な男社会を、
いつも、
超越しながら生きてきた、
生き抜いてきた女達こそが、
ほんものの、フェミニズムだと、私は思う。
勿論、法や政治や制度と闘う女達にも、
エールを送る。
しかし、最も凄みがあるのは、
いかなる理不尽な中をも生き抜く女達の、
骨太い生命力と勇気であると、私は考える。
自分達に、銃口を向ける若い兵士達に向かって、
「私たちは、心しか持っていない」
と諭す母さんも、婆ちゃんもが
何ごとにも変え難い、フェミニズムだと
私は思う。
なんとも眩しく、頼もしい、
女達だと、
思う。
女たちよ、
ガンバレ!

コメント