良寛については、
松岡正剛氏が書いでおられるようにたしかに、厳しい隠棲の修行僧でもなく、
いわゆる世捨て人でもない気が私もします。
ちょっぴりした感傷もあり、
また,意外に人懐っこいからです。
なんかそのあたりに人間的なスキがあって、だからこそ、私なんかが近寄れる気がします。
私から見るとむしろ彼の芸術性が
垣間見え、そこには、
軟弱さや、ささやかな通俗性もある。
多分、彼にとっては、それらも捨てがたかったのではないかとも,思う。
また一方では、
松岡氏も書いておられるように、
何でもポイと捨てる執着のなさは、
恐れ多いことですが、
私自身との共通点でもある気がします。
人間とは何か、自分とは何か、そして、人々と何かを、突き詰めようとした良寛がいて、
そこは,ドストエフスキーともよく似ている。
そして二人ともが、歪んだニヒリズムから免れ、
ささやかに民衆を愛した。
だからこそ、良寛の中に村人とのささやかな交流があり、
愛されたのだと思う。
そのせいか、どこか悠々たる余裕を感じるし、
いわゆる切羽詰まったものがない。
常に精神は童心にかえり、
世のアレコレは、
成り行きのままに、
風のなかに置いて、
スタスタと歩いてゆく。
あゝ、私に必要なのは、まさにこの事だ、と、
今、
書きながら思いました…笑!

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