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エッセイその24、国分寺駅の大時計

十日に一回のペースで鍼を打ってもらいに国分寺に行きます。

国分寺駅についたらいつも駅にある大時計をみます。

見上げますと言った方が正確かな。

早く着きすぎたなとか、遅刻しそうだーとか時間を確かめます。

私は皮膚アレルギーがある為に腕時計をはめることが出来ません。

だから時間を見るのはいつもアイフォンです。

でも国分寺に来たらあの大時計!

たいへん助かります。

時々秩父の小さなホテルに泊まりに行きます。

そのホテルのホスピタリティは満点に近いのですが、

ただ時計が殆どないのが唯一の欠点。

ホテル側は、時を忘れてもらうという意味で、時計を掛けていないのだと思いますがねー。

部屋の隅に手のひらより小さな置き時計があるにはあるのですが,

とても見づらい。

なんだかいつの間にか、そういう思いこみが日本のホテルに流行ってしまいました。

けどねー、時間を見たい時に時計を探すのもストレスです。

時を忘れさせるって、

そんな気遣い必要かなあー?

それよりも大きな時計で時を見るって、

楽しくないですか。

時計を見るってワクワクしませんか。

私自身はうつろってゆく時間の中に

ロマンがあるような錯覚がある…⁈

そもそも時間は物質ではないが、

しかし時の中に何かが封印されている気がする。

だから

大きなノッポの古時計っていうだけで、

私の中には懐かしいものが湧き起こる。

そう言えば、不思議の国のアリスには、懐中時計を持った兎がいつも忙しそうに走っていましたね。

いったいアイツはなんだったんだろう。

なんでアイツはあんなに忙しそうに、時計を持って飛び歩いていたんだろう。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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