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心の奥の奥の秘密のところに響くとは!

心の奥の奥の秘密のところに響くとは、

響いた人は、そのことをあまり他人にはなしたり、知らせたくないかも知れないのです。

例えば、それは、感動を揺すぶるとか、興奮するというより、

自分の中で、ジーンときたり、

しみじみと、そうだよなぁ、と思ったり、

また、実は自分もそうなんだ、という

実は自分が蓋をしている世界だったり。

それは極めて個人的なことであるんだけど、しかし

それは実は極めて人間の深いところに流れている、

普遍的ないことでもある。

そこが見える、というところに、

「コーヒー飲みましょうか」の脚本家の非凡さがあるのですね。

凡庸な作家や映画監督は、

人間の表面で起きている事を題材にして、掘っていきますが、

そもそもの人間の表面で起きていることは、人間の真実ではないのです。

真実ではないから,感動するのです。

人間の真実(本当の現実)の裏返しが表面の現実で、人間は、

現実の自分を隠したり、加工したりして表面現実を作ります。

例えば心の奥で、自分はバカだと思っている人間ほど、

表面は偉そうに振る舞います。

自分は美しくない,と思っている人ほど、表面は着飾ります。

つまり、社会の現象は、逆さまなのです。

社会は虚構現象である。

そういうことを熟知している人は、

人間の心の奥の奥の秘密のところに、語りかけるのです。

非凡というのは、多くの人間には見えていないところが、ちゃんと見えている、ということです。

だからこ、

小さな人々の、ごく当たり前の、見落としてしまいそうな、

なにげない人間の素敵な所が見える。

つまり、ドラマティックに,人間や社会を描かないのです。

私がプロデュースした映画「どこかに美しい村はないか」も

そういう風に人間を見ている映画です。

淡々と日々を生きぬいている人々、

その平凡な人々と自然とが作り出し風景を、

私は美しいなぁ〜と思い、静かな感動で能勢さんと共に撮った

映画です。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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