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人間の脳がこわれていくAI時代を前に、立ち止まる「作ることは生きること」

前回(11/16)は、数学者岡潔先生の言葉を引用しながら、

脳のデジタル機能もさることながら、

⭕️データが熟成されていくアナログ機能がとても大切であることを書きました。

ところが、今の社会はこの、

知識が考察と言う⭕️時間によって深められ、熟成されていくと言うことが、ないがしろにされています。

つまり、データ知識は、

洪水のように溢れているが、

とても浅薄で、短絡的思考しかできない人間たちが増えていくと言う事ですね。

それは人間の危機だと私は考えます。

人間は考える葦なのです。

考えることをやめた人間は、情報の奴隷になってしまいます。

昨日書いたように、人間は目的を持って考え、

それに対して脳はみずからデータを検索し、統合し、答えをおろしてくれます。

しかしAIは、

機械的に、大量のデータを駆使し、分析、統合するが、

⭕️目的は生み出せない。

なぜなら、目的は、

人間が生きようとする事で直面することから生まれるからです。

個々の人間の生き方、人生の在り方に於いて目的は、

極めて個人的な世界から生まれます。

人間がこのまま、利便性や生産性の為に、

考えることを放棄してしまうと、

脳は個々に分断された、単なる情報のゴミ箱にしかならない。

そして社会はAIを司る人間と,

AIに 司られる人間に二分され、

結局は人間の奴隷化が始まる。

いや、奴隷化より、

人間の無用化が始まるかもしれない。

      ◯

私は人間の脳と身体が生きる本質は  

「作ることは生きること」だと考えています。

10数年前からずっと、AI社会になる危機感を感じ、だからこそ、

私費をかけて映画

「どこかに美しい村はないか」を

作りました。

そこに流れているのは、

「作ることは生きること」です。

大事な牧歌的自然を背景に、

「作ることはできること」の人間の最も素朴で、

根源的命題を、

能勢監督と伴に撮りました。

それは私の人生の師である、

良寛も道元も、イエスも親鸞も、その眼下には、 

人々の暮らしがあったからです。

村や町の人々の暮らしは、牧歌的自然を背景に、

確かに自然の脅威もあり、人間が生きる困難さや厳しさもあっても、

そこで人間は自然と協働しながら、

つまり、作りながら、

生き延びてきたからです。

つまり大事なのは、大自然という、

⭕️牧歌的世界であり、

今、その牧歌的な人間の背景が消え、

人工的無機物の中に囲い込まれた人間は、

更に、

自分達の⭕️自然な、脳機能すら、失おうとしている。

「情緒が頭をつくる」

ということの重さが、

ヒシヒシと現実味を帯びて、  

迫ってくる。

今、人々が気づかないと、後2年後には、AIだらけの社会になる。

という焦りの中、

どうしたらいいのか、と、

沈み込むばかりです。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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