今日はとても大事な事を書きます。
昨日書いたように、良寛の漢詩世界と、極められた美へと収斂していく道元の哲学の世界は、
しかし今の状況は、足を止めることなくせき立てられ、思考,思慮の間さえ,剥ぎ取られてゆく。
私はこの時代の中で、
なんとか自分を立て直せねばならない。
自分の人生の立ち位置をどこにするかの自己再構築をする
最後の頼みの綱として、
数学者の岡潔先生の本「春宵十話」の再読を始めた。
そしたら、
あった。
実は私は、脳の最終機能は、
人間の気分を作ることではないか、と考えている。
つまり、つまり交感神経系系統と、副交感神経系統が催すその
振り幅によって、作られる情緒で、
人間の行為行動が規制されていく。
つまり、生命力が躍進したり、停滞したりする、その最も直接的な原理は情緒(気分)ではないか,と考えている。
それが意欲や生産性の根源の基としての交感神経の働きであり、
副交感神経は、意欲や生産性の再生産の為の、エネルギープールとして、行動抑制、休息があると。
そしたらね、
「春宵十話」冒頭からいきなり、
ハッと目が覚める如く見出しがでていた。
岡先生はいきなり
「情緒が頭をつくる」
と書いておられる。
そして読み進むにつれ、
あーそうであったと私は、
自分が忘れそうになっていた事を、思い出した。
脳の働きの凄さは、即物的デジタルではない。
その先があるのだ。
即物的デジタルは、情報検索と情報交差とさらなる情報収集に使われる、
脳記憶の流通と情報運輸であり、
つまり考察深化の為の状況作りであり、
デジタル機能によってプールされた情報バンクは、無意識の裡にシャッフル選別されながら
アナログ的に熟成されていく。
検索から熟成までには、時間がかかり、
単純なものは短期間で、
複雑なものになると、
数ヶ月や年をも超えて、微々と熟成されていく。
つまり素晴らしい発見や発明の創造の為には、
時間が必要なのです。
更にその熟成の最終機能は、
その人間の頭がリラックスしている時に、
その人間の意識に落ちてくる。
例えばアルキメデスが風呂に入っていた時とか、
ニュートンが、ぼんやり林檎を眺めていた時とか、
歩いている途中や、
何かを食べている時とか…。
思いがけない時に、
閃きとして落ちてくる。
岡先生の記述によれば、
全くわからないという事が続いたことや、
その後何故か、
眠ってばかりいるような、
そういう一種の放心状態がある事が
発見にとっては大切であると。
つまり種が蒔かれて、生えるまでの時間や、
情報が結晶していく為に、
一定時間の放置が必要なように、
意識の下層に隠れたものが、
徐々に成熟して表層に現れる。
そして現れた時にはもう、
自然に問題が解決している。
これこそが脳というものの、
高次なる機能です。
つまり脳にとっては、一定の静かなるフィールドと時間が
重要なんです。
そしてこの事は、天才ばかりだけではなく、
私たちの脳の日常もまさに、
大なり小なり、
こういった発見と発明が繰り返されている。
あー、やはり私にとって、
良寛の漢詩の静寂と情緒、道元の静謐の哲学が、
どれだけ重要な導きであったかと、
今更ながら思います。
しか昨今は、そういう認識は消え去り、
デジタルの環境の中、
人間は、日々刻々と時間に追われます。
だから私の消耗があったのですね。
つまり、時間という大切な戦略を見失い、
コセコセと時間に追われ、
精神の余裕を失う現代の現実は、
やはり人間にはマイナスなんですね。
あー大事なことを取り戻し、
良かったです。


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