高村智恵子も、宮沢賢治も、樋口一葉も、調べれば調べるほど、
彼等のいかにも人間らしい貌が出てきた。
もがきあがく、
表面は取り繕い、何事もなかったように仮面を被ろうと、
その深層心理では、彼等は苦しみ続けた。
しかしいわば、
世間とは一線を引き、覚悟をきめ、孤高の自分を生きだしてから、
彼らの本流がほとばしりでてきた。
特に一葉は凄まじかった。
彼女一家が家財を売り払い、本郷菊坂町から、
吉原下の下谷竜泉寺の長屋へ移り住んだ時の日記文は、
逸品の美しさがある。
経済的な行き詰まりが原因だと言うのが定説であるが、
なぜここに引っ越したか、或いは落ちぶれ果てたかは、
もしかしたら,裏には何かがあったかもしれないと、私は思うのだが、
調べきれない。
手掛かりになる一葉の日記も、真実と作り話とが、
錯綜されてカムフラージュされており、
特に、雪の日の半井桃水との事は、
多くの研究者や作家が日記に騙された…苦笑!
寂聴さんなんかも、本気で何があったと書いているが。
寂聴さんも甘い。
もし何かがあったならば一葉は決して日記には書かないと、
私は思う。
そしてもしそうならば、きっとその後の作品に表れる。
彼女は、日記にも小説にも、
世間に表していいものだけを書いたと思う。
なぜなら、
彼女は世人を全く信用していないからだ。
最も大切なものは胸にしまって鍵をかけ、
決して外には漏らさず、そのまま死んだと思います。
そこに一葉の凄みがある。
「たけくらべ」の成功の後、鴎外が来ても、露伴が来ても
彼女はなびかなかった。
文学界の大物が来ても
びくともしなかったのである。
反対にむしろ私には、
一葉の哄笑が聞こえる。
苦労の連続を生きた一葉の
身を挺して文字に捧げた女性の
たからかな誇りの哄笑が、
聞こえる。
みごとなる一生でありました。
一葉の小説は是非、
文語体でお読みください。


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