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◆映画「どこかに美しい村はないか」の使命!その3、デジタル世界とアナログ世界を統合する文明。

昨日はアナログ世界の事を書き終えてホッとした。

脳の事を調べて始めてから、刻々と変化するニューロンの情報網世界については、

イメージが明確になり、納得できたが、

なぜ脳にアナログ世界があり、

記憶のタイムラグを得ながら、事物の全体性をつかんでゆくのか、

更にそこからのジャンピングが起きたり、

個人の脳内にも関わらず、

ブレーンストーミング的な

アイデアがおきるのかについては、

脳科学の本を読んでも中々掴めなかったが、

グリア細胞のアストロサイトの研究がはじまり、

いよいよアナログ現象が、解明されていくと知り、

喜びました。

このままデジタル社会が進んだとしても、

もし、同時にアナログ世界が併合されていけば、素晴らしい文明の

ソフトランディングができると思うが…。

デジタルとアナログとの両方の世界及び、二つの産業形態を統合、コントロールできるには、

相当頭の切れるリーダーが出現しないと無理なように思う。

※その場合は、アナログ形態の産業が、ブランド化されると思う。

そういうリーダーが

出てくるか…。

私は自分の頭(脳)が、ニューロン的にデジタルに働く場合と、

アナログ的に全体を見渡している場合とがあり、

若い頃は、剃刀が切れる様に、頭の中をデジタルのインパルスが走り廻り、

それが快感でもあった。

しかし歳をとってから、もっと言うと60歳の終わり頃からは、

そういういかにもせわしい頭の使い方は間違っていると思いはじめた。

脳の事が分かればわかるほど、

もっと緩やかに、ゆっくり脳を使い、

分からないことは、脳内に保留しておいた方が良いと、考えるようになった。

脳内に保留して置いて、忘れた頃に答えがポトンと落ちてくる。

落ちて来た答えは、想定外であったり、

我ながら独創的であったりと、

以外と調子が良い。

不思議なことに、家ではろくすっぽ口をきいたことのない憲雄爺さんも、

同じような事を言っていた…笑!

二人ともが歳をとり、その年月の中で、自分の頭(脳)を観察するうちに、

そういう結論に行き着いたと思う。

果たしてA Iデジタルな文明と文化は

人間を幸福にするのだろうか。

これから世の中はどんどんA I、デジタルの中を突き進むと思うが、

私としては、昭和の終わりから平成にかけてのアナログ文明を担保しつつ、

A Iデジタル文明と並行させる、という

二本立て文明がいいような気がする。

アメリカで、アーミッシュが生き残っているように。

まあ、現実はそうはいかないだろし、

私以外にそんな事を考える者はいないだろうし。

そんな事を、かなり深刻に考えていた時、遠野で児玉房子さんのガラス絵に、出会った。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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