私は、いかにも年寄り臭く、昔は良かった、などという気はさらさらない。
ただただ、
つまり、身体からの情報入力で、脳情報が発達していく、という人間の原理です。
また人間は身体と頭(脳)の両方が車の両輪のように相関に働き、
エネルギーが湧き命が成熟してゆくという、人間の自然な本領です。
もし、このままA I社会になり、人間が、身体を使わなくなったらどうなるのか、という危機感に駆られている時、
遠野で、児玉房子さんのガラス絵に出会いました。
児玉房子さんのガラス絵を見た時、
そこに描かれている昭和の時代と、その暮らし、そして
茨木さんのあの詩の世界が、
人間にとって最も良き時代だったかもしれないと、思いました。
それが本当にいいかどうかはわかりません。
ただ、その思いが、私という人間に課された使命感のように、
私の心からぬけませんでした。
できたら、その思いをなんとか形にしたいと思いました。
その私の思いが消えてしまわないうちに、
また、私が諦めてしまわないうちに、と、
能勢さんに相談し、
あの映画が生まれました。
○
エネルギーの争奪を巡っで戦争をする。こんなバカげた事はない。
放射能の脅威に怯えながらも放縦な消費社会を続ける。
すっかり欲張りになってしまった人間。
私達はもう、訳が分からなくなっている。
私達は何か見えない流れのまま、流されていきているような不安に晒されている。
このままハメルンの笛吹に連れられてゆくのか、
それとも、ここで立ち止まり、足を踏ん張って、行き過ぎた文明に
歯止めをするのか、
方法が分からない。
○
人間は、望まないのも良くないが、
望みすぎても良くない。
そして、ちっぽけな存在である人間は、
おおいなる自然との人協働の中に、
最も美しいものが生まれるのだと思います。
人間が賢くなる最高の秘訣は、
究極の謙虚さを持つことです。
そして私は、
人間社会が、科学者や商業者たちの玩具ならない事を願います。
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