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◆映画「どこかに美しい村はないか」の使命!その4、人間社会が、科学者や商業者たちの玩具ならない事を

私は、いかにも年寄り臭く、昔は良かった、などという気はさらさらない。

ただただ、

人間の本質、本領とは何かを、原理的に考えているだけです。

つまり、身体からの情報入力で、脳情報が発達していく、という人間の原理です。

また人間は身体と頭(脳)の両方が車の両輪のように相関に働き、

エネルギーが湧き命が成熟してゆくという、人間の自然な本領です。

もし、このままA I社会になり、人間が、身体を使わなくなったらどうなるのか、という危機感に駆られている時、

遠野で、児玉房子さんのガラス絵に出会いました。

児玉房子さんのガラス絵を見た時、

そこに描かれている昭和の時代と、その暮らし、そして

茨木さんのあの詩の世界が、

人間にとって最も良き時代だったかもしれないと、思いました。

それが本当にいいかどうかはわかりません。

ただ、その思いが、私という人間に課された使命感のように、

私の心からぬけませんでした。

できたら、その思いをなんとか形にしたいと思いました。

その私の思いが消えてしまわないうちに、

また、私が諦めてしまわないうちに、と、

能勢さんに相談し、

あの映画が生まれました。

     ○

エネルギーの争奪を巡っで戦争をする。こんなバカげた事はない。

放射能の脅威に怯えながらも放縦な消費社会を続ける。

すっかり欲張りになってしまった人間。

私達はもう、訳が分からなくなっている。

私達は何か見えない流れのまま、流されていきているような不安に晒されている。

このままハメルンの笛吹に連れられてゆくのか、

それとも、ここで立ち止まり、足を踏ん張って、行き過ぎた文明に

歯止めをするのか、

方法が分からない。

    ○

人間は、望まないのも良くないが、

望みすぎても良くない。

そして、ちっぽけな存在である人間は、 

おおいなる自然との人協働の中に、

最も美しいものが生まれるのだと思います。

人間が賢くなる最高の秘訣は、

究極の謙虚さを持つことです。

そして私は、

人間社会が、科学者や商業者たちの玩具ならない事を願います。

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この記事を書いた人

作家。映画プロデューサー
書籍
「原色の女: もうひとつの『智恵子抄』」
「拝啓 宮澤賢治さま: 不安の中のあなたへ」
映画
「どこかに美しい村はないか~幻想の村遠野・児玉房子ガラス絵の世界より~」

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